コラム 第三回

ページ名:コラム 第三回

飛び地編入の法則」

埼玉県の小字を調べているとたまに、大字○字●(元××分)という表記に出会う。たとえば「大字今福字武蔵野(元松郷分)」のような感じだ。××の部分には他の大字に相当する地名が入っているので、もともとは××にあった区域がに編入されたということが推測される。ちなみに 「大字今福字武蔵野第八番ノ内壱(参、四号(元大仙波新田分)」 「大字砂新田字武蔵野第八番内五号(元大仙波新田分)」などというものもあり、私が知る限り埼玉県内では最長の地名である。なお、元××分にはかっこが付いている場合と付いていない場合があるが、ここではかっこが付く表記で統一する。

ある区域が別の区域に編入されるのはいくつかの理由があるが、その一つに飛び地の整理がある。大字は江戸時代における町村の区域が引き継がれたものであるが、飛び地が多数存在していた。飛び地の原因はいくつかあるが、新田開発によるものや資源採取のための入会地などが代表的である。このような飛び地は明治期において解消が推し進められたという。元××分の編入もそのような飛び地の整理によるものと考えられる。しかし、現代の地図を見るとわかるが、今も飛び地が大量に残っている大字区域は多数存在する。整理された飛び地と整理されなかった飛び地の違いは何だろうか。

元××分の区域を精査すると、ある法則が見えてくる。明治の大合併において新しい町村が作られ、従来の町村は大字となった。このとき、新しい町村をまたいだ飛び地のみが整理されたのではないだろうか。たとえば荒川の堤外地には「大字道場字平野原(元与野分)」、「大字町谷字平野原(元上峰分)」、「大字町谷字油面(元鈴谷分)」といった地名がある。これらは明治の合併で成立した与野町が荒川に接していないことから、荒川に接している土合村の大字に編入されたものと思われる。区域の編入は明治以後も頻繁に行われ、河川の流路変更や区画整理、住民の要望などによるものなどがあるが、これらについては元××分の記載はない。基本的に元××分は明治の大合併に伴う編入に限定されるのではないかと思う。

ちなみになぜわざわざ元××分という編入履歴をわざわざ地名に入れるのだろうか。一つの理由として考えられるのは、他の大字から区域を編入した場合、地番が重複する可能性があるため、元××分で見分けが付くようにしたというものである。実際、川越市の元××分の区域では同じ大字内での地番の重複が見られる。河川の流路変更や区画整理に伴う編入では、地番の変更も必要に応じて行われているが、明治期の飛び地整理ではそのような余裕がなかったのかもしれない。

しかし私はもう一つの理由が大きいと思っている。江戸時代における町村は共同体の単位であった。明治の大合併で行政区画としての町村は拡大されたが、従来の町村をわざわざ大字として残したのは、共同体としての継続性を重視したためだろう。そうなると、飛び地に関しても従来の帰属を明確にすることで、反発を抑える効果があったのではないか。

ところでこの「(元××分)」であるが、小字の一部と考えて良いのだろうか。役所が作成する旧新地番対照表などの資料では小字扱いになっていることが多いが、上尾市の「大字中妻(元春日谷津分)字新井」のように大字の後に記載されている場合もある。登記情報提供サービスという登記所が保有する登記情報が得られるサイトがあるのだが、そこでは所在地の選択画面において、「大字岩槻(元平林寺分)」などのように大字の後に記載がある。

埼玉県報に掲載されている埼玉県告示では、今のところの後に記載されたものしか見たことがないので、とりあえず本サイトでは小字の一部として扱っている。しかし、実際のところは大元の書類(土地台帳?)にどのように記載されているかということになるのだが、案外大字の一部でも小字の一部でもなく、付記情報として書かれていたものに過ぎないのかもしれない。

 

← 第二回「通称地名と小字」  第四回「小字の行方を追う」→

 

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。

コメント

返信元返信をやめる

※ 悪質なユーザーの書き込みは制限します。

最新を表示する

NG表示方式

NGID一覧