新倉の小字

ページ名:新倉の小字

上新倉村→新倉村(大字なし)→大和町大字新倉→(一部)和光市大字新倉

現在の地名:和光市本町、広沢、西大和団地、新倉、大字新倉

 

雑丹袋(ぞうたんぶくろ):飛地組替により下新倉村に編入した。

逆川(さかさがわ):区域の北東端。現存。2004年に一部が新倉八丁目になった。隣接する下新倉にも字逆川がある。

境田外(さかいだがい):逆川の南方。現存。2004年に一部が新倉八丁目になった。

草川渕(そうかわぶち):境田外の西方。2004年に新倉七・八丁目になった。

東一反割(東壱反割(ひがしいったんわり):草川渕の北方。現存。2004年に一部が新倉七丁目になった。

大野前(おおのまえ):東一反割の南東。現存。2004年に一部が新倉七・八丁目になった。大野前通りがある。

北五畝割(きたごせわり):大野前の北方。現存。

南五畝割(みなみごせわり):北五畝割の西方。現存。

西一反割西壱反割(にしいったんわり):南五畝割の南西。現存。2004年に一部が新倉六丁目になった。

二畝割(弐畝割)(ふたせわり):西一反割の南西。2004年に新倉六丁目になった。

向田外(むかいだがい):二畝割の南西。2004年に新倉六・七丁目になった。

立町外’(たつまちがい):向田外の北西。2004年に新倉六丁目になった。

三畝割(さんせわり):立町外の北方。現存。2004年に一部が新倉六丁目になった。

屋敷田外(やしきだがい):三畝割の南西。2004年に新倉六丁目になった。

屋敷田(やしきだ):屋敷田外の南西。2004年に新倉五・六丁目になった。

立町(たつまち):屋敷田の北東。2004年に新倉六丁目になった。

向田(むかいだ):立町の南東。2004年に新倉五・六丁目になった。

舟橋(ふなばし):向田の西方。2004年に新倉五丁目になった。

羽根子(はねこ):舟橋の南方。2004年に新倉五丁目になった。

柳坪(やなぎつぼ):羽根子の東方。2004年に新倉五丁目になった。

天神下(てんじんした):柳坪の南東。2004年に新倉四・五丁目になった。

江川(えかわ):天神下の北東。1989、2004年に松ノ木島町、新倉四・六・七丁目になった。

松ノ木島(まつのきじま):江川の東方。1989、2004年に松ノ木島町、新倉七丁目になった。新倉七丁目に交差点「松ノ木島」、松ノ木島公園がある。

 

京手(きょうで):松ノ木島の南西。1989、2004年に松ノ木島町、新倉四丁目になった。

竹ノ下(たけのした):京手の南西。上谷中の西方。2004年に新倉四丁目になった。東京外環自動車道の下を通る竹の下トンネルがある。竹の下通りがある。

 

上谷中(かみやなか):竹ノ下の当方。下谷中の西方。2004年に新倉四丁目になった。

榎戸(えのきど):上谷中の北東。1989、2004年に松ノ木島町、新倉七丁目になった。

下谷中(しもやなか):榎戸の南方。2004年に新倉四丁目になった。

練田(ねりた):下谷中の東方。2004年に新倉三・四・七丁目になった。新倉四丁目にバス停「練田」、新倉三丁目に練田児童遊園地がある。

 

山王免(さんのうめん):練田の東方。2004年に新倉三丁目になった。

細田(ほそだ):山王免の北方。2004年に新倉七・八丁目になった。

四反田(したんだ):細田の北西。2004年に新倉七丁目になった。

六反田(ろくたんだ):四反田の東方。2004年に新倉八丁目になった。

合ノ田(あいのた):六反田の東方。2004年に新倉八丁目になった。

五反田(ごたんだ):合ノ田の南東。2004年に新倉八丁目になった。

境田(さかいだ):五反田の南方。2004年に新倉三・八丁目になった。隣接する下新倉にも字境田がある。

大島(おおしま):境田の南西。2004年に新倉三丁目になった。隣接する下新倉にも字大島があるが、距離が離れている。

溜池(ためいけ):大島の南東。和光高校のあたり。2004年に新倉三丁目になった。新倉三丁目に溜池弁財天社がある。

午王山(牛王山)(ごおうやま):溜池の南西。2004年に新倉三丁目になった。同名の丘が由来と思われる。新倉三丁目に午王山(ごぼうやま)児童遊園地がある。午王山通りがある。午王山遺跡がある。

 

坂下(さかした):午王山の南西。2004年に新倉三丁目になった。新倉三丁目にバス停「新倉坂下」、坂下公民館、新倉四丁目に坂下庭球場がある。新倉三丁目に坂下湧水公園があったが、2019年に閉鎖された。

 

四ッ木(よつぎ):坂下の南西。2004年に新倉三丁目になった。諏訪越四ッ木線という都市計画道路がある。四ツ木遺跡がある。

下井戸(したいど):四ッ木の西方。1971年に新倉二丁目になった。新倉村の道路元標があった。新倉二丁目にバス停「下井戸」、 下井戸稲荷神社がある。

峯前(みねまえ):下井戸の北西。1971年に新倉二丁目になった。峯前遺跡がある。

長坂(ながさか):峯前の東方。1971年に新倉二丁目になった。長坂という坂があり、そこを通る道は長坂通りと名付けられている。

田端(たばた):長坂の北方。1971年に新倉二丁目になった。

半三池(はんざいけ):田端の西方。1971年に新倉二丁目になった。同名の池が由来で、新倉三丁目に半三池跡がある。新倉二丁目に半三池諏訪神社がある。半三池通りがある。半三池遺跡がある。

上ノ郷(上之郷)(かみのごう):半三池の北東。1971年に新倉二丁目になった。上之郷自治会がある。上之郷遺跡がある。

赤池(あかいけ):上之郷の西方。1971年に新倉二丁目になった。新倉二丁目にバス停「赤池」、赤池児童遊園地、新倉五丁目に越戸川赤池親水公園がある。越戸川に架かる赤池橋、赤池歩道橋がある。赤池通りがある。吹上赤池線という都市計画道路がある。

     

下谷津(しもやつ):赤池の南方。1971年に新倉二丁目になった。越戸川に架かる下谷津橋、谷津橋がある。

   

宮前(みやまえ):下谷津の北東。1971年に新倉二丁目になった。

花ノ木(花之木)(はなのき):宮前の南東。1971年に新倉二丁目になった。新倉二丁目に外環花の木広場がある。花ノ木遺跡がある。

堀口(ほりぐち):花之木の南方。1971年に新倉二丁目になった。

(みね):堀口の南方。1971年に新倉二丁目になった。新倉二丁目に峯薬師東林寺がある。峯遺跡がある。

漆台(うるしだい):峯の南東。1971、2004年に新倉二丁目、下新倉三丁目になった。新倉一丁目にバス停「漆台」。漆台通りがある。漆台向坂自治会、西漆台自治会、 東漆台自治会がある。漆台遺跡がある。

   

向坂(むかいざか):漆台の南西。1971、2004年に新倉一丁目、下新倉二丁目になった。漆台向坂自治会がある。

水久保(みずくぼ):向坂の南西。1971年に新倉一丁目になった。水久保遺跡がある。

柿ノ木坂(柿木坂)(かきのきざか):水久保の北方。1971年に新倉一丁目になった。新倉一丁目に柿ノ木坂児童公園、柿ノ木坂湧水公園がある。東京外環自動車道の下を通る柿ノ木坂通路がある。柿の木自治会がある。柿ノ木坂遺跡、柿ノ木坂西遺跡がある。

     

向原(むかいはら):柿ノ木坂の北方。1971年に新倉一丁目になった。隣接する台・根岸にも字向原がある。向原自治会がある。向原遺跡がある。

上谷津 (かみやつ):向原の南西。1971年に新倉一丁目になった。新倉一丁目に上谷津公園、上谷津ふれあいの森がある。越戸川に架かる上谷津橋がある。上谷津遺跡がある。

   

松山(まつやま):上谷津の南方。1971年に新倉一丁目になった。松山遺跡がある。

松原(まつばら):松山の南方。1971年に新倉一丁目になった。松原会(自治会)がある。

北口(きたぐち):松原の南方。1971年に新倉一丁目になった。新倉一丁目に北口箭弓稲荷神社がある。北口自治会がある。北口通りがある。

 

丸山(まるやま):北口の南東。和光市駅の周辺。1971、1996年に新倉一丁目、本町、丸山台一丁目になった。隣接する下新倉にも字丸山がある。丸山義名山線という都市計画道路がある。

庚塚(かのえづか):丸山の北西。1970、1971年に本町、新倉一丁目になった。隣接する新倉にも字庚塚があるが、位置は離れている。

小井戸(こいど):庚塚の北西。1971年に新倉一丁目になった。小井戸遺跡がある。

清水(しみず):小井戸の北西。1971年に新倉一丁目になった。新倉一丁目にある強清水という湧き水が由来と思われる。清水通りがある。清水住宅自治会がある。宮本清水線、広沢原清水線という都市計画道路がある。

越戸(こしど):清水の南東。1970、1971年に本町、新倉一丁目になった。隣接する岡にも字越戸がある。付近を流れる越戸(こえど)川が由来と思われる。新倉一丁目に越戸ふれあいの森がある。越戸自治会がある。越戸川に架かる越戸橋がある。

富士塚(ふじつか):越戸の南東。1970、1971年に本町、新倉一丁目になった。

中通(中道)(なかどおり):富士塚の南東。1970年に本町になった。

鈴森(すずもり):中通の南東。1970年に本町になった。本町に鈴森公園がある。新鈴会自治会がある。

松影(松蔭)(まつかげ):鈴森の西方。和光市図書館のあたり。1970年に本町になった。

北五反割(きたごたんわり):松影の北西。1970年に本町になった。

山尻(やまじり):北五反割の北方。1970年に本町になった。

七ッ釜(ななつがま):越戸の南西。1970年に本町になった。越戸川の源流である湧水池「七ッ釜」 があったとされる。

南五反割(みなみごたんわり):七ッ釜の南方。本町小学校のあたり。1970年に本町になった。

土橋(つちばし):南五反割の西方。1970年に本町、広沢になった。本町に土橋児童遊園地がある。

広沢原(ひろさわはら):土橋の南方から南東の広い区域。1969、1970年に広沢、西大和団地、本町になった。明治9年の切絵図では広沢原一~六となっている。近隣の下新倉、白子、膝折、溝沼、岡にも字(東、西、下、南)広沢原がある。町名「広沢」に受け継がれている。広沢に広沢原児童公園、広沢原歩道橋がある。広沢原清水線という都市計画道路がある。

 

広沢間口(ひろさわまぐち)

 

参考文献

・ 大和町の地名研究
北足立郡新座郡村字届書(明治14年)

・ 新倉第一耕地整理組合整理確定図
・ 大和町全図(昭和39年)
・ 埼玉県報 昭和45年8月、昭和46年10月、平成元年11月
・ 行政文書 町字区域変更(昭和44年度、昭和45年度)
・ 住居表示新旧対照表(平成16年11月実施)、住居表示変更新旧対照表(平成28年2月実施)

 

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