三条町村→植水村大字三条町→大宮市大字三条町→(一部)さいたま市大字三条町→さいたま市西区大字三条町
現在の地名:さいたま市西区大字昭和、大字三条町
社ノ根(社ノ根耕地)(しゃのね):現存。
東(東耕地)(ひがし):現存。
上敷(上敷耕地)(じょうしき):現存。
前田(前田耕地)(まえた):1971年に大字三条町字社ノ根、字上敷、字宮田に編入した。
宮田(宮田耕地)(みやた):現存。
押付田(押付田耕地)(おしつけた):現存。
井堀(井堀耕地)(いほり):1970年に大字昭和になった。
松ノ木(松ノ木耕地)(まつのき):1970年に大字昭和になった。
塚田(塚田耕地)(つかだ):荒川の近く。現存。飛地組替により一部が二ッ宮村に編入した。1970年に一部が大字昭和になった。隣接する二ッ宮にも字塚田がある。
八貫野耕地(はちがんの):飛地組替により塚本村に編入した。
円蔵寺(円蔵寺耕地)(えんぞうじ):飛地組替により塚本村に編入した。
井苅:現存。明治14年の字届書には記載がない。
参考文献
・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)
・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)
・ 埼玉県報 昭和45年6月、
鬼沢の周辺は低湿地だったのですが、鬼沢自体は周りよりも標高が高かったようです。
雨が降ったら周囲に水が流れて溜まったのではないかと思います。
鬼が付くのはなんらかの信仰か伝承によるものではないでしょうか。
どうして鬼沢という地名になったのかずっと気になっています。川の氾濫などが多かったのでしょうか。
早速ありがとうございます。ということは、やはり小字なのかなぁ。
バス停名をつけるバス会社の人も、いろいろな辞典と首っ引きなんですかねぇ。
ありがとうございました。
上野田の宝永地区はかつて染谷新田(新染谷村)だった場所ですが、角川日本地名大辞典の小字一覧には染谷村のところに宝永と書かれてますね。
上野田交叉点近くにある、国際興業バスの「野田宝永」バス停。
この宝永も小字かと思っていたのですが、違いますでしょうか。
となると、(飛地を除き)南側が西蓮寺村、西~北~東と取り囲むように千駄村という形となるのですね。
昔の地図を見ても、はっきりと集落が分かれているというわけでもなさそうですが。
なるほど、耕地単位に設けられることが多い小字と、集落単位に設けられることが多い小名ということですね。
与野本町も、字としては東や西や巽ですが、自治会やお祭りの単位は上町、仲町、下町というような分かれ方をしています。
角川日本地名大辞典の小字一覧には、西蓮寺村の小字として東、西、後谷、槐田、平谷、砂原が載ってますね。
それらは小字ではなく小名(集落名)だったのではないかと思います。
地理院地図に小名が載っている例は、現在の戸田市のあたりにも見られます。
https://wiki3.jp/srd2/page/611
おぉ!なんと。さすがです。疑問が解決しました。ありがとうございました。