浜崎の小字

ページ名:浜崎の小字

浜崎村→内間木村大字浜崎→朝霞町大字浜崎→朝霞市大字浜崎

現在の地名:朝霞市西原、北原、浜崎、朝志ヶ丘、三原、大字浜崎


(はけ):1983、1997年に宮戸一丁目、浜崎四丁目になった。浜崎四丁目に浜崎峡公園がある。人部・峡遺跡がある。

六万堂(ろくまんどう):1983、1997年に宮戸一丁目、浜崎四丁目になった。

上原(うえのはら):1983年に宮戸一丁目になった。

北原(きたのはら):1974、1983年に(旧)北原一・二丁目、宮戸一丁目になった。町名「北原(きたはら)」に受け継がれている。北原・谷津遺跡がある。

中道(中通)(なかみち):1983、1997年に宮戸一丁目、浜崎四丁目になった。中道・中道下遺跡がある。

堂裏(どうのうら):1983、1997年に宮戸一丁目、浜崎四丁目になった。

谷島(やしま):現存。内間木村の道路元標があった。

川袋(かわぶくろ):現存。

新河岸川通(しんかしとおり):現存。

高堤(たかつつみ):現存。

横手(よこて):1969年に大字浜崎字下谷、字谷島、字高堤、大字田島字石川戸、字高田に編入した。

水白(すいひゃく):1969年に大字浜崎字下谷、字谷島、大字田島字石川戸、大字岡字玉川に編入した。

下谷(したのや):現存。

中道下(なかみちした):1997年に浜崎四丁目になった。中道・中道下遺跡がある。

地里下(じりした):1969年に大字浜崎字下谷、字谷島、大字岡字玉川に編入した。

宮前(みやまえ):1974年に(旧)浜崎三丁目になった。

宮山(みややま):1974年に(旧)浜崎三丁目、(旧)北原一丁目になった。西久保・宮山遺跡がある。

西原(にしのはら):1974年に(旧)浜崎三丁目、(旧)西原一丁目、(旧)北原一・二丁目になった。町名「西原(にしはら)」に受け継がれている。

北割(きたわり):1974、1983年に(旧)西原一・二丁目、(旧)北原二丁目、朝志ヶ丘一丁目になった。西原二丁目に北割公園がある。北割・西原遺跡がある。

北中(きたなか):1981、1983年に三原三丁目、朝志ヶ丘一丁目になった。朝志ヶ丘一丁目に北中緑地がある。

境久保(さかいくぼ):1981、1983年に三原二~四丁目、朝志ヶ丘一丁目になった。隣接する溝沼にも字境久保がある。

谷ツ(やつ):1974年に(旧)浜崎一~三丁目、(旧)西原一丁目になった。北原・谷津遺跡がある。

原境(はらさかい):1974年に(旧)浜崎一・二丁目、(旧)西原一・二丁目、(旧)西弁財一丁目、(旧)東弁財一丁目になった。

南割(みなみわり):1974、1981、1983年に(旧)西原一・二丁目、(旧)西弁財一丁目、三原三丁目、朝志ヶ丘一丁目になった。西弁財一丁目に南割公園がある。南割・西久保遺跡がある。

六道(ろくどう):1983年に三原二・三丁目になった。隣接する溝沼にも字六道がある。

川端(かわばた):現存。1997年に一部が浜崎三丁目になった。

西久保(にしのくぼ):1974年に(旧)浜崎一・二丁目、(旧)東弁財一・二丁目になった。東弁財二丁目に西久保公園がある。西久保・宮山遺跡、南割・西久保遺跡がある。

堰免(せきめん):現存。1974年に一部が(旧)東弁財二丁目になった。

前野

川端(元岡分)

川袋(元宮戸分)

 

参考文献

・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)
・ 描かれた朝霞 絵図・地図に見る郷土の風景
・ 埼玉県報 昭和49年8月
・ 行政文書 町字区域変更(昭和44年度)

 

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