越ヶ谷町→越ヶ谷町(大字なし)→越谷町越ヶ谷→越谷市越ヶ谷
現在の地名:越谷市越ヶ谷、越ヶ谷本町、中町、弥生町、御殿町、柳町、赤山町、元柳田町、東柳田町、宮前、赤山本町
下大作(しもおおさく):1966年に赤山町四丁目になった。
柳田(やなぎだ):1966年に東柳田町、元柳田町、赤山町五・六丁目になった。町名「元柳田町」「東柳田町」に受け継がれている。
南町裏(みなみまちうら):日光街道の南西の裏手。1966、1967年に弥生町、越ヶ谷一丁目、瓦曽根一丁目になった。
西町裏(にしまちうら):日光街道の西の裏手。1966年に弥生町、中町、越ヶ谷本町、赤山町一丁目、宮本町一丁目になった。
谷古方(やこがた):1966年に弥生町、赤山町一・二丁目、宮本町一丁目になった。
井戸田(いどた):1966年に赤山町一~三丁目、宮本町三丁目になった。
上大作(かみおおさく):1966年に赤山町三丁目、谷中町一丁目になった。隣接する四丁野にも字上大作、谷中に字大作がある。
四丁野(しちょうの):1966年に赤山町一・二丁目、宮本町二・三・五丁目になった。隣接する四丁野にも字四丁野がある。
神明(しんめい):神明下村にあった入会地。
一番(壱番)(いちばん):元荒川の対岸。現存。江戸時代の検地のとき、始めに検査した順から一番、二番、・・・と名付けられたらしい。一番遺跡がある。
二番(にばん):現存。1980、1983年に一部が東越谷四・五丁目、宮前一丁目になった。
三番(さんばん):1980年に東越谷四・五丁目になった。
四番(よばん):1971、1980年に東越谷一・四・五丁目になった。
花田(はなた):現存。1980、1983、1992年に一部が東越谷四~六・十丁目、花田一・四~七丁目、宮前一丁目になった。隣接する花田にも字花田がある。
柳原(やなぎはら):1966、1980年に柳町、東越谷五丁目になった。
東町裏(ひがしまちうら):日光街道の北東の裏手。1966年に越ヶ谷五丁目、御殿町、越ヶ谷本町になった。
町並(まちなみ):宿場があった日光街道沿いの区域。1966年に越ヶ谷一~三丁目、中町、越ヶ谷本町になった。
町並裏(まちなみうら):明治14年の町村字調には記載がない。1966年に越ヶ谷本町になった。
長堀(ながほり):飛地組替により四丁野村から編入したと思われる。1966年に赤山町一・三丁目になった。隣接する四丁野にも字長堀がある。
根通(元四丁野分)(ねどおり):飛地組替により四丁野村から編入した。1966年に赤山町一丁目、宮本町二丁目になった。
葭場(元花田分)(芦場)(よしば):飛地組替により花田村から編入した。1983年に宮前一丁目になった。
花田(元四丁野分):飛地組替により四丁野村から編入した。久伊豆神社のあたりに現存。1983、1992年に一部が宮前一丁目、東越谷四丁目、花田四~七丁目になった。
花田(元神明下分):飛地組替により神明下村から編入した。久伊豆神社の北東に現存。1983、1992年に一部が花田一丁目、宮前一丁目、花田六丁目になった。
寅(とら):越谷市大字小字表に記載がある。昭和41年の埼玉県告示では大字四丁野字寅になっている大字越ヶ谷の中の飛び地が大字越ヶ谷字寅(元四丁野分)であった可能性がある。
中西(なかにし):越谷市大字小字表に記載がある。昭和41年の埼玉県告示では大字四丁野字中西になっている大字越ヶ谷の中の飛び地が大字越ヶ谷字中西(元四丁野分)であった可能性がある。
参考文献
・ 越谷市大字小字表
・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)
・ 埼玉県四ヶ村用水耕地整理組合 地区原形図
・ 越谷市出羽土地改良区第一区 旧地形図
・ 越谷市第二住居表示 新旧対照案内図
・ 越谷都市計画事業東越谷第二土地区画整理事業
・ 東越谷第一土地区画整理 公図調整図
・ 越谷市遺跡地図
・ 埼玉県報 昭和41年8月、昭和46年5月、昭和55年11月、昭和58年3月、平成4年8月
・ 行政文書 住居表示関係書綴(昭和41年度)、町字区域変更(昭和46年度)
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