コラム 第二回

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通称地名と小字」

古い地図を調べていると、本来の公称地名とは異なる地名が書かれていることがある。たとえば、大宮駅の周辺は1950年代に新しい町が作られるまでは大字大宮だった。ところが戦前の地図などにも、現在と同じ桜木町や宮町などといった町名が書かれていたりする。これは正式な行政地名ではないがその地域で慣習的に使われているもので、通称地名(通称町名)と呼ばれる。

通称地名にはいくつかのパターンがある。一つは、江戸時代の城下町や宿場町で使われていた町名が、明治以後も使われ続けるパターンである。東京、大阪などの都市においては、江戸時代に存在していた町が明治以降も町として引き継がれたが、それ以外の地域では従来の町村は大字となり、町としては引き継がれなかった。埼玉県の場合、いくつかの町で構成される城下町や宿場町がまとめて一つの大字となったため、町名は受け継がれずに消滅するか、かろうじて小字などに残された。

ここで、町が引き継がれるかどうかの扱いが都市とそれ以外でなぜ異なるかについて少し考えてみる。発足時から市制を施行した区域と町村制を施行した区域で異なる制度が適用されているためではないかと思ったが、市制を施行した区域でも大字を採用しているところもある。おそらくは市制・町村制の前に定められた郡区町村編制法で区に採用された都市とそれ以外で異なるのではないかと思われるが確証はない。

別のパターンは、都市部の拡大により従来の農地が宅地化され、新たな町が形成されたパターンである。埼玉県は東京のベッドタウンとして急速に発展した地域が多く、そのような地域において昔ながらの大字・小字でカバーしきれない役割を通称地名が担ってきた。

いずれのパターンにしろ、通称地名の普及には自治会(町内会)の存在が大きな役割を果たしている。多くの通称名は自治会と区域や名称が一致しており、住民の帰属するコミュニティに基づいてその地域の呼び名が決まっていた。高度成長期以降は都市以外の地域でも行政によって新しい町が作られ、通称名は徐々に使われなくなった。しかし、かつての通称名は今も自治会名として残っていることが多い。

ところで戦前の古い文献を調べていると、通称名が小字のように扱われていることがたびたびある。もちろんこれも正式な行政地名ではないのだが、市町村の下ではなく大字の下に付けられ、「大字○○字△△」のようにあたかも行政地名のような記載がされており紛らわしい。おそらく大字の下の地区名のような扱いなのだろうが、小字を調べている立場からすると、一見して見分けがつかないためタチが悪い。

公的な地図の代表と思われている地理院地図も、かつては通称地名が多く掲載されていた。新旧の地理院地図を切り替えて表示できる「今昔マップ on the web」というサイトで見ると、時代による地名表記の変遷がよくわかる。たとえば現在の蕨市のあたりを見ると、明治から戦後あたりまでの間は、旭町、御殿(町)、水深(町)などの地名が見られる。これらは住居表示が実施されるまで、蕨町(市)の通称地名として広く用いられた。

一方、現在の戸田市のあたりを見ると古くは前新田、元蕨といった地名が見られる。これらはこの地域の小名(集落名)であり、地区名として用いられていた。1960年代になるとこれらは荒井前、前田、曲尺手など、正式な行政地名である小字に置き換わっている。地理院地図ではこの時期を境に通称地名から行政地名への変更が行われたようである。これは、住居表示に関する法律が施行されるなど、住所を行政が管理するという考え方が広まってきたことによると考えられる。

 

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