大牧の小字

ページ名:大牧の小字

大牧村→尾間木村大字大牧→浦和市大字大牧 →(一部)さいたま市大字大牧→さいたま市緑区大字大牧

現在の地名:さいたま市緑区東浦和、大字大牧

 

大北(おおきた):西方の飛び地。2002年に東浦和一・三・四・八丁目になった。江戸時代に大牧村の小名「大北」があった。東浦和三丁目に大北公園、大北釈迦堂(大北墓地)、大北稲荷神社がある。大北遺跡がある。

    

吉場(よしば):飛び地を除く区域の南東。北西に飛び地がある。現存。2002年に一部が東浦和一・四・五丁目になった。東浦和五丁目にバス停「大牧吉場」、吉場公園がある。見沼代用水西縁に架かる吉場橋がある。埼玉県道・東京都道103号吉場安行東京線がある。吉場遺跡がある。

     

和田(わた):吉場の北方。2002年に東浦和四~八丁目になった。江戸時代に大牧村の小名「和田」があった。東浦和七丁目に和田(わだ)公園、和田通りがある。和田遺跡、和田西遺跡、和田北遺跡、和田南遺跡がある。

 

梅所(ばいしょ):和田の北西。現存。2002年に一部が東浦和六・七丁目になった。武田信玄の家臣、穴山梅雪にちなんでつけられたといわれる。江戸時代に大牧村の小名「梅所」があった。東浦和七丁目に梅所第一・二公園、大字大牧に梅所第三公園がある。梅所排水路がある。梅の郷自治会、会梅自治協力会がある。梅所遺跡、梅所東遺跡、梅所南遺跡がある。

     

 

女体下(にょたいした):見沼田んぼの区域。現存。1977年に一部が大字見沼になった。さいたま市地形図では異体字「躰」が用いられている。東浦和六丁目にある大牧氷川女体神社が由来。東浦和六丁目に女躰下公園がある。見沼代用水西縁に架かる女躰下橋がある。

 

第六天前(だいろくてんまえ):見沼田んぼの区域。現存。東浦和五丁目に大六天公園がある。見沼代用水西縁に架かる大六天橋がある。第六天排水路がある。

 

宮前(みやまえ):大間木の中の飛び地。2002年に東浦和一丁目になった。

附島大間木の中の飛び地。現存。明治14年の字届書には載っていない。

八町(はちちょう):明治14年の字届出書に記載がある。附島との混同か。

井堀(元安行領在家分):飛地組替により安行領在家村から編入した。2002年に東浦和五丁目になった。登記情報の表記では「元安行在家分」となっている。

 

参考文献

北足立郡新座郡村字届書(明治14年)
浦和市全図(昭和48年)
・ 浦和市土地宝典 尾間木地区(昭和60年)

・ さいたま市地形図縮尺2,500分の1
・ 埼玉県報 昭和52年12月、平成14年12月

 

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