1.西方からもたらされた神
ナブ、ナブー(その名は「栄光の輝き」の意)。バビロン近くの都市ボルシッパの神で、エジダ神殿で祀られる。ナブはシュメル時代から信仰された神ではなく、前2000年紀のはじめまでに、遊牧民であるアモリ人がシリアからバビロニアへ持ち込んだ神とされる。そのため、本来は西方の神。
セム系民族である、カルド族の王朝期に厚く信仰され、名前の中にナブを取り入れた人物が多く存在する。初代王ナボポラッサルの名は、正しくはナブ・アプラ・ウツルで「ナブ神よ、私の後継者を守り給え」、二代王ネブカドネザル二世の名は、ナブ・クドゥリ・ウツルで「ナブ神よ、私の境(あるいは子嗣)を守り給え」を意味する。
ちなみにナブという名は、最古の形では「ナビウム」である。
2.忠臣から最高神へ
ナブは、はじめマルドゥクの忠臣であった(※前2千年紀には主として、マルドゥクのエサギラ神殿のスッカル(「執事」)と呼ばれた。)。しかし、やがてマルドゥク神の子となり、バビロンのアキトゥ祭では「運命のタブレット」を書き付けるという、重要な役割を担う。ついには、前1000年紀には父を凌いでバビロニアの最高神となる(※ナブは聖獣ムシュフシュを有するが、これはマルドゥクから継承したものと考えられる)。
3.文字の神
属性としては、書記の神で、文字の発明者とされる。ナブのシンボルは「楔」(ただし、ナブを書記の神として扱った文学作品は存在しない)。
やがて学術や叡智の神となるが、これはエンキにはじまる知恵神の系譜を継承したものとして捉えることができる。何故なら親のマルドゥクは、『エヌマ・エリシュ』によればエア(エンキ)の子だからである。また、ニヌルタの要素をも取り込んで、灌漑と農耕を司る場合もある。
シュメルにおいてはトト神が相当するが、トトはナブほど目立った神ではなかった。
また、『ハンムラビ法典』碑文にトゥトゥという名が見られるが、これはナブの別名とされる。
4.配偶関係
配偶女神については、書記の神という性質から、はじめはニサバ女神を配偶としていたが、後にタシュメートゥ女神(ナナヤ女神)を妻とする。
5.アッシリアでの崇拝
ナブ神の特徴として、アッシリアでも崇拝されたことがあげられる。アッシリア帝国の、バビロニアへの文化的コンプレックス(※「マルドゥク」を参照)は、マルドゥク神やアッシュール神をめぐる事柄から理解されており、マルドゥク神は、ついにバビロンの興亡と運命を共にする格好となった。しかし一方で、子のナブ神は、バビロニアの伝統を引き継いでいながら、アッシリアでも崇拝を受けた。
シャムシ・アダド5世が、ナブの神殿に王碑文や神像を奉納して以来、アッシリアで盛んに信仰された。シャムシ・アダド5世の子であるアダド・ニラリ3世(在位前810-前783年)もナブ神を信仰し、首都カルフ(ニムロド)に、立派なエジダ神殿(ナブ神の神殿)を建てた。カルフ出土の文書に「私よりのちの世の者よ、ナブ神を信奉せよ。決してほかの神に頼るな」と記されたものも見つかっている。
「古代オリエント集」『バビロンの新年祭』注釈によれば、ボルシッパの他に、アッシリアのニネヴァで崇められていたとある。
(出典神話等)
『バビロンの新年祭』
(参考文献)
「古代メソポタミアの神々の系譜」、「ネブカドネザル2世」、「古代オリエント集」、
「メソポタミアの神々と空想動物」、「古代メソポタミアの神々」、「古代オリエント事典」)
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