大浦崎公園(P基地跡)
大浦崎公園は倉橋島の北東にある半島
ここには太平洋戦争中に「P基地」と呼ばれる特殊潜航艇の工場や搭乗員の訓練施設がありました。正確には呉鎮守府第二特攻戦隊と呉鎮守府第十特攻戦隊大浦突撃隊、それに呉海軍工廠造船部大浦分工場を合わせてP基地と呼ばれていました。
呉海軍工廠造船部大浦分工場は昭和17年10月から極秘裏に建設された特殊潜航艇『甲標的』専用の生産工場で、昭和18年3月に操業を開始しました。
同時に2つの特攻戦隊の訓練基地もとなりに作られ搭乗員の訓練が始められました。この訓練基地では2600名が訓練を受け戦争に参加し終戦までに440名の戦死者を出しました。
また、対岸の大迫に大浦突撃隊大迫支隊(Q基地)がP基地と対をなす形で建設され、全盛期にはP基地は手狭になったため大迫のQ基地からここまで毎日船で通った訓練生もいました。
太平洋戦争末期になると甲標的だけではなく甲標的丁型『蛟龍』や人間魚雷『回天』も研究開発され、搭乗員の訓練も行われました。
昭和20年5月には本土決戦に備え蛟龍500隻を生産し瀬戸内海への配備が決まります。しかし、連日の空襲や物資不足により配備は進まずそのまま終戦を迎えました。
現在、半島は海水浴場やキャンプ場といったレジャー施設になっていますが、園内のあちこちに施設跡・防空壕跡・遺構が残っています。
なお、「P基地」とは用途を隠匿するために使われた内部の通称で、正式には「大浦分工場」「特潜訓練基地」と分けて呼ばれていました。
コンクリート壁
遺構と思われるコンクリート製の壁
コンクリート質がかなり古いのでP基地時代の遺構の可能性が高いです。
大浦崎公園(訓練基地)と水産海洋技術センター(大浦分工場)の境界にあるため、当時から敷地の境界壁に使われていたもの思われます。
工員宿舎跡レンガの壁
大浦分工場の工員宿舎の壁の跡
水産海洋技術センター入口の手前にあります。
工員宿舎の防空壕跡
工員宿舎の裏山の斜面に2つあります。
水産海洋技術センター(旧呉海軍工廠造船部大浦分工場)
半島の先端にある大浦分工場の跡地
現在は広島県の水産技術開発のための水産海洋技術センターに転用されています。
非常用発電機室
大浦分工場の非常用発電機室
レンガ造りにモルタル塗りの遺構が完全な形で残っています。
大浦分工場の敷地はそのまま水産海洋技術センターとして使われていますが、この非常用発電機室のみ当時から敷地外にあったため現在も遺構として残っています。
水雷部倉庫
水産海洋技術センター内にあるP基地時代の遺構
大浦分工場の跡地はそのまま水産海洋技術センターとして使われているため、この倉庫も水産海洋技術センターの倉庫として使われています。
大浦分工場にはこの他にも製造工場・電池組み立て場・魚雷装てん所・特殊潜航艇吊り上げ用ガントリークレーン・宿舎・事務所がありました。
特殊潜航艇吊り降ろし場
特殊潜航艇用ガントリークレーンの吊り降ろし場
60トンクレーンが陸側(分工場内)にありこの岸壁で吊り降ろしをしていました。
写真2枚目と3枚目の桟橋が吊り降ろし場で、中央にあるコンクリート支柱が当時ガントリークレーンの支柱として使われており現存する遺構です。今と同じように柱を渡す支柱として使われていました。
右手に見えるのは同じ倉橋島の大迫で、全盛期にはP基地は手狭になったため大迫のQ基地からここまで船で通った訓練生もいました。
海岸の防空壕跡・壕口跡
大浦分工場跡から高台を隔てた北の海岸(現在の海水浴場)
ここにも防空壕跡が2つ残っています。防空壕跡の1つの前に仏像が作られていますが、空襲の犠牲者がいたのか詳細は不明です。
25mm防空機銃跡
大浦分工場の北にある高台
ここにはP基地防衛のための25mm防空機銃がありました。
現在は遊歩道になっているため遺構はありません。
嗚呼特殊潜航艇の碑
大浦崎公園近くの波多見八幡山神社にある特殊潜航艇の戦史を伝える碑
特殊潜航艇と言えば人間魚雷回天ばかりが有名ですが、実は太平洋戦争開戦の真珠湾攻撃の時からすでに実戦に投入されていました。
北はキスカ島、南はオーストラリアのシドニー、東はソロモン諸島、西はなんとアフリカ大陸のマダガスカル島まで投入され、戦闘だけでなく時には前線の補給に挺身し特殊潜航艇は海軍の戦局を支えていました。
マダガスカル島ディエゴワレス港の銘板
太平洋戦争中の昭和17年5月30日、マダガスカル島ディエゴワレス港所在英国艦攻撃成功後、山中を踏破し母潜水艦を望む丘に到達しながら英軍に発見され戦死した特殊潜航艇搭乗員を偲び建立された慰霊碑です。
その後、風化のため新しい慰霊碑と交換され初代慰霊碑は日本へ送られました。風化した初代慰霊碑がこれです。
第二特攻戦隊司令官長井満の書
波多見八幡山神社に奉納されている第二特攻戦隊司令官長井満の書
訓練基地の防空壕跡
水産海洋技術センター入口バス停から大浦崎公園までの道にも防空壕跡があります。
太平洋戦争中は山があったため訓練基地の防空壕も多く作られました。
現在は切り拓かれて住宅地になっているため現存しているのは1つのみです。
備考 |
・公園の営業時間外は入れない ・水産海洋技術センターの敷地には入れない ・海岸の高台に展望台と『睦みの鐘』という名所があるのでついでに観光するといいかも ・最寄りバス停は「水産海洋技術センター入口」バス停と「波多見」バス停どちらでもあまり変わらない ・嗚呼特殊潜航艇の碑とマダガスカル島ディエゴワレス港の銘板は「波多見」バス停の近くにあるので帰り道に寄るといいかも |
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住所 |
広島県呉市音戸町波多見6丁目22 |
駐車場 | あり(夏季は有料) |
トイレ | あり |
竣工 | 昭和18年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト | |
分類 | 基地跡 |
アクセス |
・広島電鉄バス「水産海洋技術センター入口」バス停から徒歩18分 ・広島電鉄バス「波多見」バス停から徒歩18分 |
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