亀山神社
亀山神社は古来から続く呉市の総鎮守
創建時期は不明ですが御鎮座は飛鳥時代の大宝3年と伝えられています。
当初は『大屋津日売(おおつひめ)神社』と呼ばれており家屋や木の神様の名前の神社でした。呉市の名前由来として船の材料となる呉材が多く採れたことからこの名前になったという説がありますが、亀山神社の旧名を見ても昔は林業が盛んな土地であったことが伺えます。
その後、いくつか改称と遷移があり明治維新後に現在の亀山神社となりました。
なお、主祭神は応神天皇を祀っているため八幡宮に分類され地元の人からは「八幡さん」とも呼ばれています。
元々は宮原村字亀山(現在の入船山記念館)の入船山に御鎮座されていました。明治19年に呉鎮守府開庁準備のため入船山は海軍用地として接収され軍政会議所が建設されることになり、亀山神社は明治23年に現在の場所に移転しました。
移転後も呉市の総氏神として、市民は元より海軍の将兵にも愛され歴代呉鎮守府長官着任の際や、呉港を出入りする海軍艦艇の将兵たちもその都度参詣していました。
昭和20年7月の第二次呉軍港空襲で稲荷神社と手洗舎以外はすべて焼失しましたが、太平洋戦争終戦後の昭和30年に再建され今日に至ります。
余談ですが、おおむね海軍に協力的な呉市民でしたが亀山神社の移転にはさすがに怒ったようで、明治24年に地元出身の衆議院議員が「海軍は先祖代々続いた宮原・和庄・荘山田三村の総氏神を移転させておきながら、豪華でぜいたくすぎる軍政会議所を建てそこで毎日遊び呆けている」と抗議を行ったという記録が残っています。
焼夷弾で破損した狛犬
境内にある狛犬
昭和20年7月の第二次呉軍港空襲で絵馬殿に焼夷弾が直撃し全焼しました。となりにあったこの狛犬も高熱で黒焦げになり台座の猫足が破損しました。
戦後の修繕で台座は新しいものと交換されましたが、狛犬本体は絵馬殿に面していた右側だけ高熱で破損したり黒く焦げているのがわかります。
再建された御神馬
ここにはかつて昭和9年に奉納された青銅製の御神馬像がありました。
しかし、太平洋戦争中の昭和19年の金属回収令で徴収されたため30年近く台座のみが残っていました。
昭和50年に有志の寄付により再建されました。
戦艦鎮遠回航紀念碑
戦艦鎮遠は日清戦争時代の清の戦艦で建造当時は東洋一の堅艦と呼ばれていました。
日清戦争で日本海軍が鹵獲し戦利艦として戦後海軍に編入されました。
建立当初は上に戦艦鎮遠の砲弾が飾られていましたが、こちらも太平洋戦争中の金属回収令で徴収されたため台座のみ現存しています。
御社殿
昭和30年に再建された御社殿
備考 |
・お正月の初詣の期間は非常に混雑する ・呉駅からだと歩いた方が早いかも ・移転前の入船山とは少し離れている ・広島市の空鞘稲生神社にも原子爆弾で黒焦げになった狛犬や破損した燈籠がある ・歴史の見える丘にも太平洋戦争の金属回収令で台座だけになった澤原為綱翁之像がある ・近くに呉YWCAがある |
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住所 |
広島県呉市清水1-9-36 |
駐車場 | あり |
トイレ | なし |
竣工 | 大宝3年/明治23年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト | |
分類 | 遺構、記念碑 |
アクセス |
・呉駅から徒歩20分 ・広島電鉄バス「和庄小学校下」バス停から徒歩2分 |
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