江波山公園(江波山高射砲陣地跡)
江波山にある陸軍の高射砲陣地跡
江波山はかつて『江波島』と呼ばれる広島湾の島でしたが江戸時代に干拓で埋め立てられ次第に陸続きとなりました。その後、明治31年に公園に指定され遊歩道が整備されました。
昭和8年に決定した広島工業港構想の一環として江波山以南が埋め立てが決まり、太平洋戦争直前の昭和15年から埋め立てが開始されました。
しかし、太平洋戦争が始まると物資・人手不足により埋め立ては難航し、海軍の要請で建設された埋め立て地の造船所は未完成のまま操業を開始しました。
太平洋戦争末期には陸軍の高射砲陣地と照空灯陣地が建設され『九九式8cm高射砲』が6門配備されていました。しかし、この砲台跡はすべて公園に戻っており現在遺構は残っていません。
余談ですが、エバヤマザクラという天然記念物のめずらしい桜が見れるのもここ江波山公園だけです。
江波山公園
南が埋め立てされる前の江波山公園の写真(絵はがき)
フランス料理店ヤマライ
明治33年創業の老舗フランス料理店
江波山にあるお店はここだけで太平洋戦争中の高射砲陣地建設のため立ち退きになりますが、戦後すぐに再建されました。
また、店名は創業者の山岡来次郎からきてるそうで、太平洋戦争前は茶屋でしたが戦後にフランス料理店となりました。
広島工業港魚介藻類慰霊碑
江波山沖を埋め立てする際に建立された広島でもめずらしい魚介類の慰霊碑
昭和15年に着工した広島工業港構想の埋め立て事業により地下に埋設され生命を絶たれる魚介藻類の慰霊のために建立されました。
江波は海産業の街であり江波山沖を埋め立てる前は海苔の養殖が盛んにおこなわれていました。しかし、埋め立て後は海苔養殖がまったくできなくなったため牡蠣の養殖へ転向したり漁師をやめる住民が多くでました。
昭和15年に建立された初代の慰霊碑は木製でしたが、太平洋戦争終戦後の昭和46年に現在の石製慰霊碑になりました。
余談ですが、埋め立てされる太平洋戦争前は江波山の下は海だったため江波山公園から海が見えたそうです。
備考 |
・「江波山」と近くにある「江波皿山」はよく似た名前だが別の山なので注意 ・江波山気象館がある山が江波山 ・山としては小さく徒歩8分程度で登れる ・フランス料理店ヤマライは江波山公園の中にある ・広島工業港魚介藻類慰霊碑は江波山公園に登る道の途中にある ・桜の季節は花見客で混雑する ・夏休み中は江波山気象館の駐車場が混雑し自動車入場制限が行われる可能性がある ・近くに江波山気象館(旧広島気象台)と陸軍江波射撃場跡がある 2項目の写真は広島市公文書館デジタルギャラリーより引用 |
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住所 |
広島県広島市中区江波二本松2丁目11-2 |
駐車場 | 江波山気象館にあり |
トイレ | あり |
竣工 | 江戸年間(?) |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト |
- |
分類 | 砲台跡、記念碑、観光地 |
アクセス |
・広島電鉄バス「江波栄町」バス停から徒歩3分 ・広島電鉄路面電車「江波」電停から徒歩10分 |
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