海上自衛隊呉造修補給所貯油所(旧乙廻燃料置場)
吉浦駅の近くにあります。
乙廻燃料置場は有事に備えての海軍の燃料貯蔵計画の一部として建設が決まりました。昭和7年に用地買収が始まり、昭和12年に海軍軍需部乙廻燃料置場として完成しました。
太平洋戦争終戦後に進駐軍に接収され、イギリス軍やオーストラリア軍が使用しましたが昭和33年に接収解除となりました。昭和36年から海上自衛隊の貯油所となり、現在は大小70基以上のタンクが並ぶ自衛隊最大の貯油施設となりました。
ここに貯蔵された燃料はアレイからすこじま等に係留されている海上自衛隊艦艇に海路で送られます。
艦艇の係留地点であるアレイからすこじまからかなり離れた場所に燃料を貯蔵してされていますが、これは「アレイからすこじまが攻撃を受けた場合に艦艇と燃料両方の全滅を防ぐため」と「燃料を先に攻撃されると湾岸部が火の海になって艦艇が使えないため」だそうです。
また、太平洋戦争中は吉浦から呉海軍工廠と広の第11海軍航空廠へ通じる総延長12kmの燃料パイプラインがあり、陸路で燃料を送ることが可能でした。
現在では海上自衛隊の艦艇用の他に、航空機や車両の燃料なども保管されており、国内で唯一の陸・海・空の三自衛隊に補給することが可能な大型支援基地となっています。
なお、地上にあるタンクの数が少なく見えますが、山に掘られたトンネルや地下に燃料を貯蔵しているため地上にあるタンクは少ないそうです。
堺川のパイプライン
堺川にかかる乙廻燃料置場時代の送油用パイプライン
吉浦の乙廻燃料置場から呉市内を経由して、呉海軍工廠と第11海軍航空廠へ重油を送るためのパイプラインです。
また、吉浦貯油所内にも燃料置場時代の大型ディーゼル機関送油用ポンプがありますが、残念ながら平成14年と平成16年の水害により使用不能となりました。
二河川のパイプライン
二河川にかかる乙廻燃料置場時代の送油用パイプライン
同じく太平洋戦争中に乙廻燃料置場から呉市内を経由して、呉海軍工廠と第11海軍航空廠へ重油を送るためのパイプラインです。
こちらは歩道橋と水道橋と自動車橋が併設されているため、当時の橋脚等を近くで見ることができます。
旧軍需部引き込み線跡
吉浦西踏切の近くにある旧海軍軍需部乙廻燃料置場への引込線跡
1992年製と書かれているので、鉄橋部分だけ後年に作り直したのかもしれません。
旧軍需部踏切
吉浦駅から西側の2つめの踏切
旧海軍軍需部乙廻燃料置場に関連する名前の踏切ですが詳細不明です。
備考 |
・海上自衛隊呉造修補給所貯油所には入れない ・貯油所自体は吉浦の海岸線からならどこでも見える ・引き込み線跡は吉浦駅から国道31号線を西へ行った最初の踏切(吉浦西踏切)の奥にある ・旧軍需部踏切は吉浦西踏切からさらに西に行けばある ・堺川のパイプラインは呉駅近くの海上自衛隊呉教育隊の近くにある ・二河川のパイプラインは呉駅近くのかもめ橋にある ・同じ海軍の作った燃料基地として広の虹村公園(広燃料置場重油槽跡)と江田島の海上自衛隊呉造修補給所工作部エアクッション艇整備科(旧海軍飛渡瀬燃料置場)と倉橋島の海軍軍需部倉橋島燃料置場跡がある ・近くに吉浦の防空壕跡と狩留賀浜(巡洋艦磐手終焉の地)がある |
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住所 |
海上自衛隊呉造修補給所貯油所:広島県呉市吉浦町6555-2 堺川のパイプライン:広島県呉市宝町2 二河川のパイプライン:広島県呉市海岸1丁目12-1 引き込み線跡:広島県呉市吉浦宮花町7-11 旧軍需部踏切:広島県呉市吉浦宮花町7-14 |
駐車場 | なし |
トイレ | 近くの吉浦駅にあり |
竣工 | 昭和12年 |
公開 |
海上自衛隊呉造修補給所貯油所:非公開 その他:常時 |
登山難易度 | - |
サイト | |
分類 | 基地跡、遺構、インフラ |
アクセス |
・吉浦駅から徒歩8分 ・広島電鉄バス「吉浦駅前」バス停から徒歩8分 |
海上自衛隊呉造修補給所貯油所
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コメント
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堺川のパイプライン撤去されました
2024年11月15日確認
旧呉海軍海兵団武器庫跡は健在です
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