鍋桟橋跡

ページ名:鍋桟橋跡

鍋桟橋跡

鍋桟橋はかつて警固屋町にあった桟橋

この辺りは中世のころから埋め立てが盛んに行われる場所で、当初はここも海でしたが明治43年に埋め立てられ鍋桟橋が作られました。

鍋桟橋の利用者は倉橋島から呉海軍工廠へ通う島嶼部通勤者がほとんで全盛期には通勤ラッシュが起こるほど利用者がいました。碑文によると少なくとも2つの渡し船と待合所があったようです。

しかし、太平洋戦争終戦とともに呉海軍工廠も廃止となり利用者減少と老朽化を理由に昭和48年に鍋桟橋は廃止となりました。その後、昭和63年には跡地も埋め立てられて完全に陸地となりました。

さらに、平成25年には第二音戸大橋への警固屋音戸バイパス建設のため新しい道路や高架が建設されたため、かつての桟橋であった面影は完全に無くなりました。

明治43年より4度埋め立てられ、海から桟橋、そして完全に陸地になり現在はバス停の名前とモニュメントが桟橋の名残りとして残っています。

 

備考

・広島電鉄バス鍋桟橋バス停の反対側にある

・近くの鍋小島に江戸時代の海であった時の遺跡があるので興味があれば観光するといいかも

・近くに警固屋(巡洋艦青葉終焉の地)がある

住所

広島県呉市警固屋4丁目1-22

駐車場 なし
トイレ 近くの鍋桟橋バス停待合所にあり、少し遠いが警固屋公園にあり
竣工 明治43年
公開 常時
登山難易度
サイト

分類 遺構、インフラ
アクセス

・広島電鉄バス「鍋桟橋」バス停から徒歩すぐ


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