旧広海軍工廠と旧第11海軍航空廠

ページ名:旧広海軍工廠と旧第11海軍航空廠

旧広海軍工廠と旧第11海軍航空廠

広海軍工廠は太平洋戦争終戦まであった海軍の軍需工場地帯

『海軍工廠』とは海軍艦艇の建造・修理、艦艇に搭載する兵器の製造・修理・保管、艦装品の製造・調達・供給等を行う軍需工場の総称です。

広海軍工廠は呉海軍工廠創設から26年後の大正10年、当時の新技術であった航空機を製造・研究する工廠として創設されました。

創設時の名前は『呉海軍工廠広支廠』で、このころは自前の開発はなく海外で設計された航空機を生産していました。

2年後の大正12年に広海軍工廠として独立し航空機部・造機部・戦闘実験部・工作機実験部が置かれました。

その後、昭和に入るとワシントン海軍軍縮条約やロンドン海軍軍縮会議で艦船の建造が制限されたこともあって、制約のない航空機の研究・開発が進み、昭和6年に試験飛行場である呉海軍航空隊飛行場も建設されます。

昭和16年に太平洋戦争が開戦し真珠湾攻撃で航空機が多大な戦果を挙げると、航空機生産の重要性が認められ広海軍工廠の航空機部は『第11海軍航空廠』として独立します。第11航空廠の主な生産機は零式水偵・九七式艦攻・彗星・紫電改でした。

太平洋戦争中は広の街は工廠・工員宿舎・工員訓練所関連の建物がほんとどを占めており、呉海軍工廠と同じように広駅からの引き込み線も敷かれるなど街全体が海軍の航空機工場となりました。

太平洋戦争後期になると長期化する戦争と徴兵により男性労働者不足が深刻化したため、招集された女子動員学徒や女子挺進隊員が労働力となりました。しかし、精密かつ熟練技術を要する航空機の生産は遅々として進みませんでした。

太平洋戦争末期の昭和20年3月と5月に二度に渡る大空襲を受け壊滅し、広海軍工廠と第11海軍航空廠は翌6月に合併しますがほどなく終戦を迎えました。

広は坂の街である呉に比べ平地が多く眼前の瀬戸内海も穏やかな海であるため、航空機や水上機の試験に向いており航空機の工廠が作られたのではないかと思われます。

王子マテリア呉工場(旧第11海軍航空廠本部庁舎門柱跡)

第11海軍航空廠本部庁舎の入口にあった門柱跡

写真2枚目は大和ミュージアムに展示されている第11海軍航空廠の表札です。

太平洋戦争終戦後は昭和25年の旧軍港市転換法により跡地は東洋パルプ(現在の王子マテリア)の工場となりました。

余談ですが、東洋パルプは排水や排煙による公害がひどく高度経済成長期の呉市の環境問題になったこともありました。

米軍機による機銃掃射の弾痕

門柱跡の前にあります。

昭和20年5月5日の空襲の時のものです。

三門前隧道

王子マテリア呉工場前から長浜まで約2kmにわたって壕口が多数あります。

地元住民の方のお話では「広海軍工廠と第11海軍航空廠の防空壕」との事です。ただし、当時の地図で見ると中で繋がっているため斜面に穴を掘っただけの防空壕(通称:タコツボ)ではなくトンネルになっているようです。

実際には防空壕用途として使われた可能性が高いです。

第一変電所隧道

第五隧道

空襲で亡くなった犠牲者の慰霊のためなのか地蔵があります。

第六隧道

ここの壕口は現在の道路より少し高い位置に壕口がありますが、どのように出入していたのか不明です。

防空壕跡

名前のない防空壕

中には墓地の用具入れや駐車場に転用されているものもあります。

こちらは横穴式防空壕と呼ばれるもので隧道とちがって中でつながっていません。コンクリート製の屋根がある分、斜面に穴を掘っただけの防空壕(通称:タコツボ)よりは頑丈ですが、壕口が塞がると生き埋めになる可能性があるため安全とは言い難いものでした。

※現存しないものがあります

門柱跡

広海軍工廠開設当時のものと思われる門柱跡

明治から大正にかけてのデザインと思われますが詳細不明です。

コンクリート塀

広海軍工廠時代の鉄筋コンクリート製の塀

※この遺構は現存しません

広海軍工廠

広海軍工廠の写真

大和ミュージアムに展示されています。

 

備考

・コンクリート塀と写真の防空壕跡のいくつは現存しない

・門柱跡は季節によっては草藪になっていてほとんど見えない時期がある

・広駅と新広駅どちらから行ってもあまり距離は変わらない

・遺構はすべて県道279号線沿いにあるので広交叉点から279号線を南へ行けばすべて見れる

・全体を見るなら大空山公園(大空山砲台跡)三津峰山からよく見える

・紫電改は計画のみで実際には生産されていなかったという資料もある

旧呉海軍工廠ダイクレ興産第2工場(旧呉海軍工廠砲熕部精密兵器工場)にも米軍機の機銃掃射の弾痕が残っている

・近くに広海軍工廠引き込み線跡明磯神社の鳥居黄幡山・九郎山機銃砲台跡がある

2項目写真1枚目は呉市フォトバンクより引用(写真提供:王子マテリア株式会社呉工場)

住所

広島県呉市広末広2丁目1-1

駐車場 なし
トイレ なし
竣工 大正10年
公開 常時
登山難易度
サイト

https://www.ojimateria.co.jp/

分類 海軍工廠
アクセス

・広駅から徒歩20分

・新広駅から徒歩23分

・呉市生活バス「末広2丁目」バス停から徒歩2分


旧広海軍工廠

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門柱跡

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機銃掃射の跡

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コメント

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あゆみ
ID:NTg1ZTgxM

旧第11海軍航空廠本部庁舎門柱跡は独立行政法人産総研中国センターの敷地内にあるものです。

返信
2024-11-01 16:32:00

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