平和塔(旧日清戦争凱旋碑)
御幸通りの始点である皆実町緑地にあります。
日清戦争終戦後の明治29年に、ここに日清戦争戦勝を祝う記念碑『日清戦争凱旋碑』が作られました。この塔は高さ16mで頂部に獲物を狙う鷹の銅像が飾られており、御幸通りには戦勝を祝う凱旋門も作られました。
その後、太平洋戦争では銅像でありながら金属回収令を逃れました。しかし、太平洋戦争末期の昭和20年8月の広島市への原子爆弾投下で被爆してしまいます。
太平洋戦争終戦後、進駐軍より戦没者崇拝・戦争賛美が禁止されこの凱旋碑も撤去を命じられますが、当時の広島市には撤去の費用が無かったため撤去を先延ばしにしていました。
しかし、GHQより直々に撤去を命じられたため仕方なく、昭和22年8月6日に日清戦争凱旋碑の銘板をセメントで『平和塔』と塗り潰す改修を行います。そして「頂部の鷹は平和のシンボル鳩であるため戦争賛美に当たらない」「原爆の日の8月6日に改築したのは平和への願い」等と強引に言い訳をして撤去を逃れたという笑い話が残っています。
なお、撤去にかかる費用は当時のお金で200万円で一般的な勤め人の月給が8千円でした。
御幸通り
平和塔のある皆実町緑地は御幸通りの始点に当たります。
御幸とは「明治天皇の行幸を賜った」という意味で、日清戦争の際に明治天皇が行在所され日清戦争に出征する兵士を見送ったという通りです。
現在は、旧道になるため道も狭く交通量も少なくなっていますが、日清戦争があった明治20年代はここがメインストリートでした。
備考 |
・場所がわかりにくいが皆実交番のとなりにあるので皆実交番を目指していくといい ・平和塔の前の細い道路が御幸通りである ・凱旋門は理由は不明だが現存しない ・広島平和記念公園にある平和塔とはまったく別物なので注意 ・呉市にも皇太子時代の昭和天皇行幸を記念して作られた御典橋がある |
---|---|
住所 |
広島県広島市南区皆実町6丁目3 |
駐車場 | なし |
トイレ | 近くの千田廟公園にあり |
竣工 | 明治29年/昭和22年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト |
- |
分類 | 記念碑、被爆遺構 |
アクセス |
・広島電鉄路面電車「皆実町6丁目」電停から徒歩すぐ ・広島バス、広島電鉄バス「皆実町6丁目」バス停から徒歩すぐ |
コメント
最新を表示する
NG表示方式
NGID一覧