三木谷医院(旧広海軍共済組合病院)
吉松山のふもと住宅地にある海軍の病院
広海軍共済組合病院は広海軍工廠の医療機関として大正10年の広海軍工廠設立と同時に建てられました。
その後、太平洋戦争直前の昭和15年にとなりの地区である大新開(現在の広警察署の辺り)へ移転しました。
太平洋戦争末期の昭和20年3月と5月に広海軍工廠と広の街は大空襲を受けますが、この建物に被害はなく終戦を迎えました。
太平洋戦争終戦後は国鉄に払い下げられ宿舎として利用されていました。その後、個人病院として買い取られ現在でも病院として使用されています。
広には歴史的な建築物が少なく木造2階建ての洋館風病院は非常に希少な歴史遺産と言えます。
外観
洋館のような造りの病棟は木造2階建てで西側と東側の2つに分かれています。
共済組合病院時代には様々な医科があったため入口もいくつか存在しますが、現在は外来診療のみ行っているため西側病棟の1階のみ病院として使用されています。
ほとんど増改築されていないためほぼ当時の原型をとどめていますが、外壁は色が抜けてしまっているため木目色になっています。竣工当時は海友舎のような白色の病院でした。
廊下
写真からもわかる通り現代の建物に比べて天井が非常に高く、この病棟の2階建てが現代の建物の3階建ての高さに相当します。
天井が高いと冷暖房効率が悪くなりますが、明治時代にはエアコンや電動扇風機などはなかったため、通気性が良く採光面も良い高天井を採用しています。このような天井が高い造りは他の明治時代の公共施設でも見られます。
また、住人の方によると「海軍が建てただけあって基礎部分が非常に堅牢で、築100年以上の木造建築にも関わらず多少の地震でもビクともしない」とのことです。
階段
木造の階段
海軍の作った病院だけあってこの年代の木造階段で踊り場がある造りはめずらしいものです。また、戦争映画の入院シーンのロケ地として候補にあげられたことがあるそうです。
配膳室
2階にある配膳室と洗い場
この配膳室の真下に厨房がありここから食事を上げて配膳します。
滑車のような装置は1階の厨房から食事を上げる配膳用エレベーターのような昇降機で、現存しているのは非常にめずらしいものです。
広間
高天井と畳が特徴の広間
配膳室のとなりにある事から入院患者がここで食事を取っていたのか、余暇を過ごすため使われていた部屋と思われます。
病棟の中でもこの一室は広いため現在でも近所の人達との寄り合いの場所として利用されています。
余談ですが、天井が高い木造建築のためエアコンを取り付けることができず夏は非常に暑くなるそうです。
病室
2階の病室
広海軍共済組合病院は呉海軍病院と同じ設計であるため、病室も同じ造りになっています。
畳にカーテンで仕切られた個人スペースが海軍病院という感じですが、畳の上に布団を敷いてあったのかベッドが使われたのかは不明です。
現在、この病院では入院対応はしておらず外来診療のみを行っています。
備考 |
・現在も診療を行っている病院なので通院者の邪魔にならないよう可能な限り休診日や休診時間に見学するように ・東側の病棟は個人の邸宅になるため無断立入や無断撮影は厳禁 ・広駅から行く場合はバスだとかなり大回りになるので歩いた方が早いかも ・近くに工僚神社がある |
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住所 |
広島県呉市広両谷2丁目6-11 |
駐車場 | なし(※駐車場は通院者専用のため観光目的の駐車不可) |
トイレ | なし |
竣工 | 大正10年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト |
- |
分類 | 軍属病院 |
アクセス |
・広駅から徒歩13分 ・呉市生活バス「両谷」バス停から徒歩3分 |
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