海越小学校跡
海越(かいごし)小学校はかつて海越集落にあった小さな小学校
明治7年に開校した海越小学校は、島嶼部でありながら昭和初期には校舎が増築されました。
太平洋戦争中は食糧不足が深刻で、海越のような農村部では自給自足が基本でした。海越小学校でも自給自足を目指し校内に農園を作りサツマイモを植えました。
しかし、食糧不足はさらに悪化し最終的には運動場はすべてサツマイモ畑となり、小学生たちは毎日農作業に動員されました。戦争末期には食べられるものは野草でも何でも食べたそうです。
海越は潮風の影響により気温が高く、平地が少ない地形もあって柑橘栽培に適していたため、稲作よりミカン畑が多い農村でした。しかし食糧増産政策によりミカン畑は何割かを伐採し芋か麦を植えるよう指令が下りました。これは海越だけでなく倉橋島の他集落や瀬戸内海の他島でも同様に進められました。
太平洋戦争終戦後の昭和20年代には、生徒数も増え一時100人以上となりました。しかし、その後は生徒数減少により近隣の室尾集落にある東小学校(後の倉橋東小学校)に統合されて昭和43年に廃校となりました。
現在は校舎は残っておらず、静かな跡地にはかつての小学校の面影は残っていません。
余談ですが、倉橋東小学校も平成25年に生徒数減少による統廃合で閉校となりました。
二宮尊徳像
海越小学校には、昭和14年に建てられた二宮金次郎銅像がありました。
しかし、太平洋戦争中の金属回収令により徴収され現在は足しか残っていません。
門柱跡
備考 |
・海越小学校という名前だが場所的には海越と南海越の間にある ・校庭跡に廃校の記念碑が残っている ・二宮金次郎銅像は徴収された際に壊されたのか、徴収後に復興され廃校の際に取り壊されたのか不明 ・近くに海越城という城跡があるので興味があれば観光するといいかも ・近くに海越の防空壕跡がある |
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住所 |
広島県呉市倉橋町海越15258 |
駐車場 | なし |
トイレ | なし |
竣工 | 不明 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト |
- |
分類 | 遺構 |
アクセス |
・呉市生活バス「南海越」バス停から徒歩3分 ・呉市生活バス「海越」バス停から徒歩5分 |
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