傷痍之碑

ページ名:傷痍之碑

傷痍之碑

長迫公園(旧海軍墓地)の上にあります。

傷痍軍人(しょういぐんじん)とは、戦争や公務によって負傷し身体的・精神的な障害を負った軍人のことでかつては「廃兵」と呼ばれていました。

軍隊の士気を維持するため、国のために戦った軍人の傷病は「名誉の負傷」とされ戦後も国から手厚い保護や援助を受けるのが慣例です。

日本における傷痍軍人制度は明治39年に制定された廃兵院法から始まりました。東京に創設された廃兵院は、昭和13年に傷兵保護院、そして軍事保護院と改称して拡充されました。

しかし、太平洋戦争終戦後はGHQの政策により軍事保護院は廃止され、傷痍軍人は一般の身体障害者と同等扱いとなりました。

その後、昭和27年には戦傷病者戦没者遺族等援護法が制定され障害一時金・更生医療・補装具支給・国立保養所への収容などが全額国庫負担で実施されることになりました。 しかし、手足を欠損したり、失明したり、体内に弾丸が残っている傷痍軍人は健常者と同じように職について収入を得ることは難しく、昭和40年代までは街頭や縁日で白衣を着て募金を求める「白衣募金者」の姿も見られました。

この記念碑がどのような経緯で建立されたかは不明ですが、太平洋戦争における傷痍軍人の数は32万人にのぼるといわれ、軍港である呉には傷痍軍人も多く復員したものと思われます。

余談ですが、連合艦隊司令長官の山本五十六や漫画家の水木しげるも傷痍軍人の一人です。

 

備考

・軍人の慰霊碑なのになぜか海軍墓地の外にある

・しかも謹書は呉市長となっているなど色々と謎が多い

長迫公園(旧海軍墓地)から行く場合は、車道から行くと大回りになるので軍艦球磨慰霊碑の横道から登ると近い

・傷痍軍人の碑は他にも日本全国に存在する

・近くに上長迫の防空壕跡がある

住所

広島県呉市上長迫町17-1

駐車場 なし
トイレ 近くの長迫公園(旧海軍墓地)にあり
竣工 昭和63年
公開

常時

登山難易度
サイト

分類 記念碑
アクセス

・呉駅から徒歩45分

・広島電鉄バス「長迫町」バス停から徒歩5分

・広島電鉄バス「呉本通り六丁目」バス停から徒歩15分


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