重極湾(巡洋艦北上終焉の地)
巡洋艦北上は佐世保鎮守府所属の球磨型軽巡洋艦3番艦として大正時代に就役し、太平洋戦争直前に魚雷での戦闘を得意とする重雷装艦に改装されました。
しかし、太平洋戦争は空母や航空機による航空戦の時代となり、前線で活躍の機会もなく輸送や護衛任務に従事しました。
太平洋戦争末期に本土決戦に備えて人間魚雷『回天』の搭載母艦に改装され、ここ重極湾(じゅうごくわん)でカモフラージュのため松や草木を置いて停泊していました。
重極湾は倉橋島の南西にある北向きの湾で、両側に突き出した半島と目前に能美島があるため艦艇を隠すのに適した地形でした。
しかし、昭和20年7月の第二次呉軍港空襲では重極湾に隠れていた巡洋艦北上は空襲を受け大破しました。また、重極集落や隣接する江の浦集落でも米軍機の爆撃や機銃掃射を受け住民が死傷しています。
巡洋艦北上は終戦時には航行不能でしたが、修理され復員関係船として活躍したため、厳密には重極湾が終焉の地ではありません。
瀬戸内海の島特有の海岸線まで山々に囲まれた静かな田舎ですがこの景色にも壮絶な歴史があることに感心します。
防空壕跡
重極の集落にある防空壕跡
艦艇終焉の地には防空壕跡が残されていますが、こちらの防空壕跡も巡洋艦北上に関連する防空壕と思われます。
重極湾は面積が大きいため巡洋艦北上がどの辺りにいたか不明ですが、当時の記録によると渡り板を使って往来できるようにしていたとありますので、陸地の近くに停泊していた可能性が高いです。
軍艦北上戦没者之碑
こちらは重生(しぎょう)にある巡洋艦北上の戦没者慰霊碑です。
地域の戦没軍人の慰霊碑と並んで巡洋艦北上の慰霊碑が設置されています。おそらく、近くで戦闘があったため、ここに合祀されたものと思われます。
備考 |
・他の艦艇終焉の地とはかなり距離があるため「艦艇終焉の地めぐり」をしたい人は注意 ・重極湾と軍艦北上戦没者之碑はバス停3つ分ほど距離があるが、便数が少ないためマイカー等が無い人は歩いた方が早い ・防空壕跡は重極集落の海沿いのお墓の後ろにある ・重極集落と重生集落はトイレも商店も自動販売機もない小さな集落なので注意 ・コミュニティバスで行く路線は2つあるがどちらも終点近くまで乗る必要がある(どちらから乗っても同じ場所が終点) |
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住所 |
重極湾:広島県呉市倉橋町重生5777-1 軍艦北上戦没者之碑:広島県呉市倉橋町重生5345-19 |
駐車場 |
重極湾:なし 軍艦北上戦没者之碑:重生海のふるさと公園にあり(有料) |
トイレ | なし |
竣工 | - |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト |
- |
分類 | 艦艇終焉の地 |
アクセス |
重極湾: ・呉市生活バス「重極」バス停から徒歩すぐ 軍艦北上戦没者之碑: ・呉市生活バス「重生」バス停から徒歩すぐ |
重極湾
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軍艦北上戦没者之碑
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