弾丸列車計画の杭跡
弾丸列車計画の杭跡は、戦前の長距離鉄道建設のために買収された用地跡
昭和14年に計画された『弾丸列車計画』は正式名称を『広軌幹線』といい、当時日本の植民地であった朝鮮半島や満洲国、さらに昭和12年に勃発した日中戦争による中国大陸への輸送需要増加を受けて立案されました。
広軌幹線の線路は「在来線と別に新設する」「全線高架で複線化する」「貨物列車を一切走らせず旅客専用にする」など現在の新幹線に通じる部分が多い鉄道計画でした。
ただし、敷設ルートは新幹線と違って東京ー下関ー対馬-海峡トンネルー朝鮮半島ー北京ーシンガポールという大陸間直通長距離列車となる計画でした。
輸送量がひっ迫してきた昭和15年に着工され完成予定は昭和25年でした。しかし、着工の翌年に勃発した太平洋戦争による物質不足のため昭和18年度末に計画は中止されました。
太平洋戦争終戦と共に日本は海外領土を失い、朝鮮半島・中国に輸送を増やすという当初の目的も失われ弾丸列車計画はまぼろしと消えました。
しかし、東海道区間は用地がすでに多く確保されており大型トンネルなどの工事も終わっていたため、後の東海道新幹線への礎となりました。
ここ廿日市市佐方でも弾丸列車計画のため、大規模な用地買収が行われ枕木を利用した杭が打たれました。しかし、計画中止が告げられると戦争の食料増産のため払い下げられ農地に転用されました。
この杭跡は太平洋戦争中に払い下げを免れて洞雲寺の前に数本残っていたものを移設保存されたものです。戦後も長らくこの辺りは水田地帯でしたが再開発により住宅地へと変わり、現在は当時の面影は残っていません。
備考 |
・JR廿日市駅の近くの洞雲寺前公園の前にある ・廿日市駅は北口から出ると近い ・目の前に洞雲寺があるので跡地と移設場所はそこまで離れてないと思われる |
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住所 |
広島県廿日市市城内2丁目13-10 |
駐車場 | 不明 |
トイレ | 洞雲寺前公園にあり、廿日市駅にあり |
竣工 | 不明 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト |
- |
分類 | 遺構、インフラ |
アクセス | ・廿日市駅から徒歩3分 |
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