高烏台公園(高烏台砲台跡)

ページ名:高烏台公園(高烏台砲台跡)

高烏台公園(高烏台砲台跡)

平清盛が厳島神社を建てるため太陽を呼んだことで有名な景勝地音戸の瀬戸の本州側にある高烏台公園

ここには明治時代から太平洋戦争終戦までの砲台跡があります。

高烏台公園には大きく分けて2種類の砲台跡があります。

1つは明治34年に陸軍が広島湾要塞の1つとして築いた『高烏台砲台』。もう1つは陸軍砲台廃止後に海軍呉鎮守府が昭和16年に呉防衛のために転用構築した『高烏台防空砲台』です。

現在、陸軍時代の砲台跡は公園となっているため多数残っていますが、海軍時代の砲台遺構は公園の外にあるためほとんど現存していません。

兵舎跡

陸軍砲台時代の遺構

砲台床から少し下ったところにあります。

屋根は現存していませんが、爆発事故が起きた時に爆風を逃がすため屋根だけ木製でできていました。

花崗斑岩で作られているため頑丈で明治34年に作られたにしては状態が良く、屋根と窓以外はほぼ完全な状態で残っています。

砲台床・砲弾置き場

陸軍砲台時代に作られた砲台床

砲台床は全部で3つあり明治34年に28cm榴弾砲6門が配備されました。

瀬戸内海には明治時代に作られた砲台がよくありますがここは公園だけあって非常に良く手入れされています。

なお、昭和16年に海軍防空砲台に転用された際にはまず『四〇口径三式8cm高角砲』3門が配備されました。

さらに昭和19年11月に『八九式12.7cm連装高角砲』3門と『25mm連装機銃』3門も増強されましたが、防空砲台時代の砲台床はここではなく一段上にある公園部分で現在は埋め立てられています。

火薬庫

陸軍砲台時代に作られた火薬庫

砲台床の横に地下に下がる形で3つ残っており火薬庫の文字も残っています。

移築された火薬庫

入船山記念館に移築された陸軍砲台時代の平屋建ての弾薬庫

実際に入ってみると重厚な壁の厚さに驚かされます。

天井は木造で屋根は瓦葺きで復元されています。

便所跡

兵舎の下にあります。

ブロックで復元されているところもありますが陸軍砲台時代の遺構です。

他の砲台もそうですが便所は大体兵舎の近くにあります。

水槽跡

兵舎のとなりにあります。

防火用にしては小さいですが飲用ではないはずなので防火用か風呂用だと思われます。

こちらはレンガ造りにモルタル塗りで作られているので海軍防空砲台時代の遺構です。

探照灯跡(南側)

海軍防空砲台時代の遺構

公園の北に進むとあります。

気持ちのいい野原ですが中央に直径15m程のクレーターがありここに探照灯が設置されていました。

本来は電波探信儀が配備される予定でしたが戦局悪化により終戦まで配備されず、代わりに探照灯が設置されていました。

5式砲戦指揮装置跡

海軍防空砲台時代の遺構

高烏台砲台は終戦時に『5式砲戦指揮装置』と呼ばれるものが配備されていました。

これは複数の防空砲台を同期させて指揮するシステムで、高烏台と三津峰と南高烏を同期させる予定で試験配備されており『雷雲』という通称でした。

現在は遺構はありません。

25mm連装機銃跡

海軍防空砲台時代の遺構

5式砲戦指揮装置跡の西南にあります

ここに25mm連装機銃が3基あったそうですが、どう見ても面積が足りないので埋められたか風化で地形が変わったかだと思われます。

探照灯跡(北側)

海軍防空砲台時代の遺構

探照灯跡(南側)からさらに北へ行くと三津峰山への登山道入口があり入口から少し入るとあります。

ここにも探照灯が設置されておりコンクリートの遺構と地面を平坦にするため石垣が残っています。

境界標石

探照灯跡(北側)近くの登山道にあります。

境界標石とは民間地と軍用地の境界を示す石で日本各地に点在します。戦前戦中は要塞地帯の中で測量・撮影・模写などを禁止する要塞地帯法という法律がありました。

M字が2つ入っているものは海軍を表しています。

聴音機跡

登山道をさらに北に進み探照灯跡(北側)の石垣の延長線上くらいの位置にあります。

海軍防空砲台時代の遺構です。

高烏台砲台の遺構としては最北にありますが遺構はなく現在は窪地だけが残っています。

 

備考

・マイカー等が無い人は最寄りのバス停から上り坂を30分程度歩く必要あり

・最寄りのバス停はコミュニティバスなので便数が少ない

・探照灯跡(南側)は公園から北に伸びる遊歩道の先にある(車道からは行けない)

・探照灯跡(北側)と聴音機跡は登山道から少し外れたところにある

入船山記念館に火薬庫と陸軍時代の砲塔が移築されているので行けない人はそちらを見るのもいいかも

・道中に音戸の瀬戸と音戸大橋が見える

・平清盛が太陽を呼ぶために立ったと言われる岩があるので興味があれば観光するといいかも

・同じような明治時代の陸軍砲台で海軍防空砲台に転用されたものとして大空山公園(大空山砲台跡)がある

住所

広島県呉市見晴2丁目8-25

駐車場 あり
トイレ あり
竣工 明治34年/昭和16年
公開 常時
登山難易度 易しい
サイト

https://www.city.kure.lg.jp/

分類 砲台跡、日本遺産、有形文化財
アクセス

・呉市生活バス「みはらし荘」バス停から徒歩28分


GoogleMapで地図を開く

 

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。

コメント

返信元返信をやめる

※ 悪質なユーザーの書き込みは制限します。

最新を表示する

NG表示方式

NGID一覧