空鞘稲生神社と空鞘町防空壕跡

ページ名:空鞘稲生神社と空鞘町防空壕跡

空鞘稲生神社

空鞘稲生神社(そらさやいなおじんじゃ)は太田川沿いにある神社

空鞘稲生神社は天文年間に創建された五穀の神を祀る神社で、戦国大名の毛利輝元からも厚い崇敬を受け社領を授かったという由緒ある神社です。

大正8年に社殿を新改築した際は南舟入・中島(現在の広島平和記念公園)・吉島の産土神社とされました。

昭和20年8月の原子爆弾投下の際は、爆心地からわずか600mの近距離であったため衝撃と熱風によって建物はすべて焼失しました。その後、太平洋戦争終戦後の昭和28年に復興されました。

境内には恵美那須神社・幸神社・稲生神社の3つが内包されていますが、いずれも原子爆弾の投下によって焼失し太平洋戦争終戦後に再建されています。

余談ですが、「空鞘」とは社頭の松の木に刀の鞘が掛っていた事に由来します。昭和40年の住居表示法による町名改正まで空鞘稲生神社の周辺は空鞘町という地名でした。

原子爆弾の被害を受けた境内

境内には原子爆弾の熱風で黒焦げになった狛犬や鳥居、爆風で割れた狛犬や燈籠があります。

被爆クスノキ

元々は爆心地近くの元安川の川岸に芽吹いていた若いクスノキでした。

被曝して焼死したクスノキから芽吹いた新しいクスノキで、復興のシンボルとして住民に育てられていましたが、区画整理で伐採される予定となりました。

しかし、伐採を惜しむ声が多かったため空鞘稲生神社の境内に移植されることとなり、現在は見事な大木に育っています。

空鞘町防空壕跡慰霊之碑

本川の土手にあった防空壕跡

原子爆弾の犠牲となった本川地区の住民は本川尋常高等小学校で火葬され、遺骨がこの防空壕へ埋葬されました。本川地区は爆心地に近い原爆ドームから相生橋を挟んですぐとなりにある地区で、犠牲者の数は数千人に上りました。

現在、防空壕跡と思われる遺構は残っておらず場所も不明です。坂の街である呉市と違って平坦な広島市街地には防空壕を掘る場所がないため、恐らく川土手の斜面に作られていたものと思われます。

 

備考

・空鞘町防空壕跡は空鞘稲生神社前の川土手にある

・広島市内には原子爆弾の爆風で狛犬や鳥居が焼けた神社が他にもいくつかある

・呉市の亀山神社にも焼夷弾で破損した狛犬がある

似島にも原子爆弾の犠牲者を埋葬した防空壕跡が残っている

・近くに馬碑広島平和記念公園がある

住所

空鞘稲生神社:広島県広島市中区本川町3丁目3-2

空鞘町防空壕跡:広島県広島市中区本川町3丁目5

駐車場 なし
トイレ 近くの空鞘公園にあり
竣工 天文年間/昭和32年
公開 常時
登山難易度
サイト

https://www.sorasaya.or.jp/

分類 被爆遺構、記念碑
アクセス

・広島電鉄路面電車「本川町」電停から徒歩5分

・広島電鉄路面電車「寺町」電停から徒歩5分


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空鞘防空壕跡

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