飛渡瀬(巡洋艦大淀終焉の地)
飛渡瀬(ひとのせ)は江田島湾の一番奥、江田島と能美島の間の交通の要衝にあります。
元々ここには江田島と能美島の間にあった瀬戸(小さな海峡)があり「飛び越えて渡れる瀬戸」という意味の地名が由来となっています。
巡洋艦大淀は太平洋戦争中に竣工した軽巡洋艦で連合艦隊最後の旗艦を務めた有名な艦艇です。また、潜水艦を支援するための水上機の格納庫や大型カタパルトを装備しためずらしい艦艇でもありました。
巡洋艦大淀は太平洋戦争末期の昭和20年2月、南方での激戦に生き残り呉港に帰投しました。しかし、他の艦艇同様に燃料不足で航行できない状態のまま3月の第一次呉軍港空襲で攻撃を受け、自力で航行不能なまでに大破しました。
その後、ここ飛渡瀬まで曳航され偽装をされましたが、7月の第二次呉軍港空襲で再び攻撃を受け大破横転し終戦を迎えました。
生存者の通信記録によると「大淀は横転し沈みながらもまだ対空砲火で応戦していた」とあり凄まじい戦闘があったことが伺えます。
のどかな島の景色にもすごい歴史があると感心させられます。
軍艦大淀戦没者之慰霊碑
終焉の地の目の前にあります。
お堂やミニチュアまであって他の終焉の地の慰霊碑より豪華です。
飛渡瀬の防空壕跡
江田島湾の東側、県道44号線沿いにあります。
第二次呉軍港空襲では、横転した後も米軍機は執拗に攻撃し巡洋艦大淀は多数の死傷者を出しました。
激しい戦闘があったところには防空壕跡も多数残っています。
巡洋艦大淀
巡洋艦大淀の写真
呉市の大和ミュージアムに展示されています。
備考 |
・終焉の地は江田島湾沿いならどこからでも見える ・戦没者之碑は牡蠣工場の敷地内を通らないと行けないので必ず許可を得て通るように ・中町港と小用港からバスが出ているが小用港からの方が便数が多い ・呉市の大和ミュージアムに解体際に取り外された通信機器が展示されている ・同じ江田島湾内に海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)と中町港(巡洋艦利根終焉の地)がある ・北に秋月(空母龍鳳終焉の地)、南に楠田(空母鳳翔終焉の地)があるので終焉の地めぐりをしたいなら一気に行くといいかも |
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住所 |
広島県江田島市大柿町飛渡瀬3379 |
駐車場 | なし |
トイレ | なし |
竣工 | - |
公開 |
終焉の地:常時 慰霊碑:限定(牡蠣工場の敷地内を通らないと行けない) |
登山難易度 | - |
サイト |
- |
分類 | 艦艇終焉の地 |
アクセス |
・中町港から徒歩45分 ・小用港から徒歩1時間25分 ・江田島バス「内海」バス停から徒歩2分 |
巡洋艦大淀終焉の地
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軍艦大淀戦没者之慰霊碑
防空壕跡
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