狩留賀浜(練習艦磐手終焉の地)
巡洋艦磐手は佐世保鎮守府所属の出雲型装甲巡洋艦2番艦として明治34年に就役しました。
明治37年におきた日露戦争では日本海海戦でロシア海軍のバルチック艦隊を破る武勲を挙げた艦でもあります。
就役当時は装甲巡洋艦でしたが旧式化に伴い大正10年に海防艦へ変更されました。しかし、居住性の良さから太平洋戦争までは海軍兵学校の練習艦として使用されました。
太平洋戦争中の昭和17年に戦局悪化と艦艇不足を補うため再び巡洋艦となりますが、昭和20年7月の第二次呉軍港空襲でここ狩留賀浜沖で空襲を受け大破着底し終戦を迎えました。また、姉妹艦の巡洋艦出雲も小用港で空襲を受けて沈没しています。
対岸に江田島が見えますが太平洋戦争末期のこの海域は米軍が敷設した機雷だらけで、民間船が触雷して爆発し死者が出る事故が発生するなど危険な海域でした。
なお、江田島から本州への陸路は太平洋戦争終戦後にできたもので戦前・戦中では船で渡航するしかありませんでした。
余談ですが、終焉の地である狩留賀浜海水浴場は当初は海軍専用の海水浴場でしたが、大正14年から市民にも開放され現在は呉市を代表する海水浴場となりました。また、最寄り駅のかるが浜駅は昭和3年に夏季臨時停車場として設置のが始まりで、それ以前は吉浦港か川原石港から船で海水浴に来るのが一般的でした。
かるが海浜公園の防空壕跡
かるが海浜公園に残る防空壕跡
半島の南側は旧海軍軍需部乙廻燃料置場があったため、周辺も防空壕が多くここもその一部かと思われます。
係船遺構と思われるもの
終焉の地の北の海岸にある係船用の鉄鎖とレンガ片
巡洋艦磐手と関係あるか不明です。
備考 |
・かるが浜駅の前にある海 ・国道31号線は海岸線が私有地や企業敷地なので海が見えない ・かるが海浜公園の突堤からよく見えるのでオススメだが営業時間外は入れない ・かるが海浜公園の展望台から本州と江田島の海峡がよく見える ・江田島の教専寺に練習艦磐手の時鐘が保存されている ・近くに海上自衛隊呉造修補給所貯油所(旧海軍軍需部乙廻燃料置場)と吉浦中学校(旧呉海軍工廠女子動員学徒狩留賀寄宿舎)と吉浦の防空壕跡がある |
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住所 |
広島県呉市狩留賀町3-5 |
駐車場 | かるが海浜公園にあり(有料) |
トイレ | かるが浜駅にあり、かるが海浜公園にあり |
竣工 | - |
公開 |
常時 |
登山難易度 | - |
サイト | |
分類 | 艦艇終焉の地 |
アクセス |
・かるが浜駅から徒歩すぐ ・広島電鉄バス「狩留賀」バス停から徒歩すぐ |
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