瀬野機関区跡

ページ名:瀬野機関区跡

瀬野機関区跡

瀬野機関区は明治27年の山陽本線開通当初から置かれた機関車の操車場

瀬野駅と八本松駅の間には22.6%(1kmの間に22.6mの高低差がある)という全国屈指の急勾配(通称「セノハチ峠」)があり、開通当初の蒸気機関車ではパワー不足で峠を登りきれませんでした。特に重量のある貨物列車では深刻な問題でした。

山陽本線は当時私鉄(山陽鉄道)でしたが、このような線路の敷設に適さない急勾配に線路を建設した理由は「日清戦争直前で東京から兵站拠点の広島市までの輸送ルート確保を軍部が急いでいたため」という説があります。

そのため、瀬野駅から八本松駅に向かう列車は補助機関車を後ろに連結し動力車2両体制で峠を登りました。つまり、前から引く機関車と後ろから後押しする機関車の2両で運転します。

操車場はセノハチ峠の入口である瀬野駅に作られました。当初の名前は『広島機関庫瀬野駐泊所』で特別強力な機関車が必要であったためアメリカ製の蒸気機関車6両が導入されました。

その後、大正時代になると貨物の輸送量が増加したため瀬野駅と八本松駅間が複線化され大正12年に広島機関庫瀬野分庫へ改称します。さらに、日中戦争前の昭和11年に広島機関区瀬野支区へ改称されました。瀬野機関区の名称になったのは太平洋戦争終戦後の昭和21年のことでした。

操車場は現在の瀬野駅の北側にあり、最盛期には機関車25両と職員200人が勤務していました。構内には複数の線路や車庫、蒸気機関車に欠かせない給水塔等がありました。

昭和37年に山陽本線は電化され旅客列車は補助機関車が不要になるなど利便性が向上しますが、貨物列車は変わらず補助機関車が必要で瀬野機関区は引き続き運用されました。

しかし、昭和61年から連結作業は広島駅で行うよう変更されたため瀬野機関区も廃止となりました。

現在は操車場もすべて取り壊されており記念碑のみが残っています。

D51形式蒸気機関車の動輪

山陽本線の瀬野駅と八本松駅の間を実際に走っていた蒸気機関車の動輪

D51形式蒸気機関車は通称「デゴイチ」と呼ばれ、1100トンの貨物列車を牽引しながら時速85kmのスピードで走ることが可能でした。

この動輪は昭和15年に製造され昭和49年に蒸気機関車が引退するまで使われていました。

現在は江田島の大須港に展示されています。

 

備考

・記念碑は瀬野駅北口のロータリーの近くにある

・セノハチ峠のふもと側が瀬野駅で頂上側が八本松駅

・蒸気機関車の動輪はなぜか江田島大須港という瀬野駅とはまったく別の場所にあるので注意

・補助機関車の切り離し作業は八本松駅ではなく西条駅で行われている。現在も西条駅で貨物列車の切り離し作業を見ることができる

・セノハチ峠に山陽鉄道時代の上瀬野信号所跡が残っており山陽本線の車窓から見える

・瀬野川公園にD51形式蒸気機関車が展示されている

・近くに中野村聴音照射所跡への登山口である中倉神社がある

・同じ鉄道遺構として軍用鉄道宇品線呉線がある

住所

瀬野機関区跡:広島県広島市安芸区瀬野1丁目41-21

蒸気機関車の動輪:広島県江田島市江田島町大須1丁目17-13

駐車場 不明
トイレ 瀬野駅にあり
竣工 明治27年
公開 常時
登山難易度
サイト

分類 インフラ、記念碑
アクセス

瀬野機関区跡:

・瀬野駅から徒歩すぐ

蒸気機関車の動輪:

・切串港から徒歩53分


瀬野機関区跡

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D51形式蒸気機関車の動輪

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