大津島

ページ名:大津島

大津島

大津島(おおづしま)は山口県徳山港の沖約10㎞に位置する島で、7つの集落に約300人が住んでいます。

かつては大津島と馬島の2つの島に分かれていましたが、太平洋戦争末期に人間魚雷『回天』の訓練基地と工場の建設が行われ、2つの島の間の浜が埋め立てられて1つの島となりました。

人間魚雷の訓練基地の島として有名ですが、正確には元々あった魚雷発射試験場を太平洋戦争末期に回天の訓練基地に転用したものです。

訓練基地へのトンネル

このトンネルは整備工場から回天をトロッコに乗せ訓練基地まで運ぶためのトンネルです。

トロッコのレールは現在は埋められていますがレール跡が残っています。また、パネル展示がしてある箇所はトロッコ同士が離合できるように広く作られています。

あお、このトンネルが完成する以前は海岸沿いのレールで運んでいましたが、海岸沿いレールは浸食が激しく現在では原型をとどめていません。

空襲指揮所

トンネルの途中にある出口

空襲警報が発令された場合、沖で訓練をしている回天の支援船舶に手旗信号で情報を送る場所です。

九三式魚雷発射試験場場跡(大津島回天訓練基地跡)

この試験場は元々昭和14年に呉市の大入魚雷遠距離発射場が移転して作られた『九三式魚雷発射試験場』でした。

写真にある長方形の穴から天井に設置されたクレーンを使って海面に九三式魚雷を降ろし、発射試験をしていました。

昭和19年9月に戦局の劣勢を受けて回天の訓練場として転用され、太平洋戦争終戦日の昭和20年8月15日まで猛訓練が行われていました。隊員たちはここから回天に乗り込み島の周りを航行する訓練を行っていました。

また、昭和19年11月より大津島基地から回天特別攻撃隊が出撃しウルシー・パラオ・グアム島・硫黄島・沖縄などの戦いで若い隊員が散華していきました。

回天昇降用クレーンの基礎跡

ここには回天を海に下ろすためのクレーンがありました。

トロッコで運ばれた回天は動作確認後、搭乗員を乗せてこのクレーンで東側の海に下ろされます。さらに運搬艇に接続され沖の訓練水域まで運ばれて訓練を行っていました。

現在はクレーンの丸い基礎跡のみ残っています。

大津島小学校(回天整備工場跡)

整備工場も昭和14年に魚雷発射試験場が呉市から移転してきた際に同時に建設されました。そして、同じように昭和19年9月に回天の整備工場に転用されました。

右手前にある建物のが点火試験場、防空壕のように山を掘ってあるのが危険物貯蔵庫、右奥に変電所でそれぞれ現存しています。中央のグラウンドに兵舎と調整工場がありました。

調整工場の階段

調整工場と本部をつなぐ急な階段

搭乗員たちの訓練にも使用され「地獄の階段」と呼ばれてました。

調整工場のコンクリート壁

回天調整工場(現大津島小学校)の北の道沿いにあるコンクリートの壁

太平洋戦争当時のもので、軍事機密である回天整備工場の中が見えないように遮蔽物として作られました。

戦後に道路をかさ上げしたため相対的に壁が低くなってしまいましたが、戦時中は島民から中が見えないような高さに作られていました。

魚雷見張所跡

こちらも昭和14年に魚雷発射試験場が呉市から移転してきたのと同時に作られました。

宇部沖に発射される九三式魚雷を観測するための施設で、試験場を見下ろす山の頂に建てられています。

昭和19年9月に試験場が回天の訓練場として転用されると、この見張所も同じく訓練の見張所に転用されました。窓枠や電線の碍子などがきちんと残っている貴重な遺構ですが内部は落書きだらけです。

また、昭和20年4月6日には沖縄に向けて出撃する戦艦大和が対岸の野島沖に見えたという記録が残っています。

回天記念館

回天に関する資料館

他の戦争資料館と比べると小さいですが、隊員の遺品や遺書、訓練基地での生活や当時の時代背景など色々と考えさせられるものが展示されています。

また、屋外にある『平和祈念の鐘』は柱島泊地で謎の沈没を遂げた戦艦陸奥の第三砲塔の薬莢で作られています。

実物大回天模型

2つあります。1つは徳山港、もう1つは回天記念館に展示されています。

徳山港の模型は映画「出口のない海」の撮影用として使われたレプリカです。

回天は九三式魚雷を改造したもので、外から見ると大きく見えますが内部は非常に狭く一度乗り込むと操縦以外身動きが取れない上に、水中航行中は真っ暗になるため搭乗員は時計を頼り操縦します。 また、前進しかできない上に潜航するためには手動で注水しなければならないなど非常に操縦が難しく、他の平生基地光基地.旧光海軍工廠でも訓練中に搭乗員が亡くなる事故が起きています。

 

飛行科入口門柱

馬島港の大津島公園にあります。

飛行科とは航空機パイロットのことで海軍の中でもエリート中のエリートしかなれなかった羨望の兵科でした。しかし、太平洋戦争末期の日本には搭乗する航空機も燃料も無く、大多数が回天などの特攻隊に志願しました。

ここは当時の飛行科搭乗員の兵舎や作業場等があり彼らの生活の場でした。また、目の前の馬島港は回天を搭載する潜水艦の停泊地でした。

現在は公園となっているため、かつての兵舎の面影はありませんが入口の門柱は当時と変わらぬ姿を残しています。

 

備考

大津島小学校内は無断立入禁止

・徳山港から旅客船で40分程かかる

・大津島は複数の港があるが回天訓練基地跡や資料館を観光したい場合は馬島港が一番近い

・島内にレストランは1軒あるが土日祝のお昼以外は営業していない

・トンネル内は季節によってフナムシが大量にいるので苦手な人は注意

・魚雷見張所は標高163mの山にあるので約20分ほど登山が必要

・馬島港からはかなり距離があるが北部の瀬戸浜港にも防空壕跡が残っている

・島の中部にも高角砲台跡が残っている

・回天の資料館や実物大回天レプリカは平生町の阿多田交流館にもある

住所

回天訓練基地跡:山口県周南市大津島1964-1

回天記念館:山口県周南市大津島1960

駐車場 なし
トイレ 馬島港待合所にあり、回天記念館にあり
竣工 昭和14年
公開 常時(回天記念館は休館日あり)
登山難易度 魚雷見張所跡:易しい
サイト

https://www.city.shunan.lg.jp/

分類 基地跡、観光地、遺構、土木遺産、しま山100選
アクセス

・馬島港から徒歩10分


回天訓練基地

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回天記念館

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魚雷見張所跡

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