工兵第五連隊跡
旧太田川と京橋川の分かれるたもと白島公園にあります。
現在の安田学園の辺りは太平洋戦争終戦まで工兵第五連隊の駐屯地でした。工兵とは土木・建築・通信など技術的作業で他兵種の戦闘を助ける兵種のことです。
工兵第五連隊の前身は工兵第五大隊といい、陸軍第五師団所属部隊として大正時代に創設されました。大正12年に起こった関東大震災の際は災害救助とインフラの復旧のため34日間関東地方に派遣されたという記録が残っています。
太平洋戦争末期の名称は中国軍管区工兵補充隊といい同じく現在の安田学園の辺りに駐屯していました。
昭和20年8月6日の原子爆弾投下の際は、運悪く下士官要員約100人が入隊する日で在隊者が作業演習のため営庭に集合していたため多くが犠牲となりました。
現在はここが跡地であることを示す記念碑が残されています。また、記念碑の裏に書かれてる部隊はそれぞれ広島師団管区で編成された工兵第39連隊と宇品にある陸軍船舶部の船舶工兵隊で、同じ工兵であるため並記されているものと思われます。
工兵橋
京橋川に架かるつり橋
明治22年に工兵第五連隊が牛田練兵場に行くために架けた連絡橋です。工兵によって架けられた橋なので『工兵橋』と呼ばれました。
初代工兵橋は大正8年に洪水により落橋してしまい大正10年に架け直され、現在のような吊り橋型となりました。その後昭和8年に再度架け替えが行われました。太平洋戦争中は軍人専用の橋とされ民間人は通行することができませんでした。
昭和20年8月の原爆投下の際は爆心地に向かって平行方向であったため大きな損害はなく、多くの被災者が火の海と化した市街地から逃れるためこの橋を通って北へ逃げました。
太平洋戦争終戦後の昭和29年に、老朽化のため再度架け替えが行われ現在の橋になりました。また、昭和61年にはケーブル等の補強工事が行われています。
余談ですが、テレビドラマ「はだしのゲン」のロケ地としても使われました。
終戦直後の工兵橋
終戦直後の被爆した工兵橋の写真
説明板に展示されています。
新こうへい橋
工兵橋のすぐ西側にあります。
戦後の交通量増加を受けて昭和48年に新設された近代的な橋です。さらに、平成6年に開催された広島アジア大会に合わせて片側3車線の大型橋に架け替えられアストラムラインの線路も橋上に敷設されました。
余談ですが、橋の名前は古くからある工兵橋から来たものではなく、南岸の白島と北岸の牛田の住民の間に命名紛争が生じたため「公平に」との意図を込めて『新こうへい橋』と命名されたという俗説があります。
当初の名前は付近にある長寿園からとった『長寿園橋』が予定されていました。
備考 |
・工兵橋は記念碑の北にある ・現在の工兵橋は太平洋戦争後に架け替えられた橋であり遺構ではない ・アストラムラインの牛田駅と白島駅の間にあるがどちらの駅から行ってもあまり変わらない ・元宇品にも陸軍暁部隊が作った暁橋がある ・関東大震災の災害救助に派遣された他部隊として同じ第五師団所属の電信第二連隊がある ・近くに牛田浄水場(旧牛田水源地)がある |
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住所 |
広島県広島市中区白島北町1-41 |
駐車場 | なし |
トイレ | 京橋川右岸緑地に公衆トイレあり、少し遠いが新牛田公園にあり |
竣工 | 不明/明治22年/昭和48年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト | |
分類 | 被爆遺構、記念碑、インフラ |
アクセス |
・アストラムライン「牛田駅」から徒歩5分 ・アストラムライン「白島駅」から徒歩8分 ・広島交通バス、JRバス「工兵橋」バス停より徒歩すぐ |
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