海上保安大学校(旧呉海軍工廠火工部)
現在は海上保安官を育成する学校ですが終戦までは呉海軍工廠の一部でした。
明治22年の呉鎮守府開庁と同時に呉鎮守府吉浦火薬庫がここに置かれたのが始まりです。
その後、明治36年に対岸に呉海軍工廠が建設されると呉海軍工廠造兵部第六工場の火薬庫となりました。
のちに造兵部は『砲熕部(ほうこうぶ)』と改称されますがこの第六工場は昭和10年に『呉海軍工廠火工部』として砲熕部から独立しました。火工部とは主に火薬や砲弾の製造をする工廠でした。
戦後、火工部跡地に東京から海上保安大学校が移転してきて現在の状態となりました。
また、となりに日本で唯一の潜水艦学校がありましたがこちらは太平洋戦争中の昭和17年11月に大竹市へ移転しています。
海上保安大学校煉瓦ホール(旧呉海軍工廠砲熕部火工場機械室)
海上保安大学校唯一の建物遺構
呉海軍工廠砲熕部第六工場時代の機械室です。
大正3年竣工なので呉鎮守府や昭和町の呉海軍工廠のレンガより新しいです。
天井に送電のための碍子が付いているのが機械室という感じがしますね。
防空壕跡
学校の内外にたくさんあります。
位置的に潜水艦桟橋と海軍吉浦貯油所の間に位置する火薬工場であったため、防空壕跡も多く作られたのではないかと思われます。
戦争末期の昭和20年には防空壕の中で召集された女学生が砲弾を作っていました。
戦艦陸奥の燃料
校内の海上保安資料館にあります。
柱島泊地で謎の爆発を起こして沈没した戦艦陸奥の燃料です。
遺留品や再利用された金属は各地で見ますが「燃料」はめずらしいものです。後年、成分を調べると当時日本の植民地だったスマトラ産だと判明したそうです。
備考 |
・大学校外の防空壕跡は2つあり常時見学可能 ・大学校内の防空壕跡は非公開のため見ることはできない ・同じ呉海軍工廠火工部の慰霊碑として江田島公園に呉海軍工廠火工部小用作業場の事故の慰霊碑がある ・戦艦陸奥の遺留品は他にも山口県屋代島の陸奥記念館と大津島の回天記念館にある ・近くにジャパンマリンユナイテッド呉事業所新宮工作部(旧第11海軍航空廠兵器部新宮工場)と新宮防空砲台跡と大麗女島が見える |
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住所 |
広島県呉市若葉町5-1 |
駐車場 | なし |
トイレ | なし |
竣工 | 明治22年 |
公開 |
火工場機械室:限定(特別公開のみ) 海上保安資料館:限定(事前予約制) |
登山難易度 | - |
サイト | |
分類 | 遺構、海軍工廠、日本遺産 |
アクセス |
・広島電鉄バス「海上保安大学校入口」バス停から徒歩8分 |
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