広島陸軍被服支廠跡
南区にある『陸軍三支廠』の1つで広島市の被爆遺構の中では最大の遺構
被服支廠とは兵士たちの軍服・軍靴・軍帽・ベルト等の被服一式を製造・調達・保管する陸軍の施設のことです。元々は明治38年に陸軍の軍服洗濯工場として建設され明治40年に被服支廠に昇格しました。
また、軍用鉄道宇品線が東側に併設されており、ここで製造した被服はそのまま鉄道に乗せられ陸軍の輸送拠点である宇品港まで運べるようになっていました。
現在残っているのは大正2年に竣工した倉庫棟のみ4棟が残っていますが、かつては同じ倉庫棟が16棟ありました。この倉庫棟は外観はレンガ造りに見えますが内部は鉄筋コンクリートとなっています。
敷地も広く現在の広島工業会社高校・皆実高校・合同宿舎を含めた国道2号線辺りまですべて被服支廠の敷地でした。今は西南端のL字型の部分のみ残っている形となりました。
昭和20年8月の原爆投下の際は、爆心地からかなり遠かったため建物の損傷は軽微でしたが臨時救護所として使われたため、大量の負傷者が搬送されてきて多くの人がここで息を引き取りました。当時の悲惨な様子は峠三吉の詩集に描かれています。
太平洋戦争終戦後は学校・宿舎・民間企業の倉庫などに転用されましたが平成7年以降は利用されておらず、保存するでもなく取り壊すでもなくただ放置されて現在に至ります。
現在も原子爆弾の爆風で歪んだ鉄扉が残っています。
内部
全国でもめずらしいレンガと鉄筋コンクリートの併用という造りの建物です。
当時は鉄筋コンクリートの建築材料は高価で、関東大震災以前の時代であるため耐震性のある鉄筋コンクリート構造で作られた建物は非常にめずらしく日本最古級といわれています。
保存されたレンガ壁
広島陸軍被服支廠のイギリス積みのレンガ壁
被服支廠の敷地の境界線にありましたが、老朽化により耐震性に問題ありとされ令和2年に解体されました。現在は広島平和記念公園の平和記念資料館に保存展示されています。
(写真3枚目と4枚目は解体前のレンガ壁)
備考 |
・市街地のド真ん中にあるので若干わかりにくい ・内部を見学したい場合は広島県財産管理課に事前申請が必要 ・『陸軍三支廠』として他に広島大学医学資料館(旧広島陸軍兵器支廠)と広島市郷土資料館(旧宇品陸軍糧秣支廠)がある 2項目の写真はarch-hiroshimaよりクリエイティブ・コモンズ・ライセンスに基づいて引用 |
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住所 |
広島県広島市南区出汐2丁目4-75 |
駐車場 | なし |
トイレ | なし |
竣工 | 明治38年 |
公開 |
常時 |
登山難易度 | - |
サイト | |
分類 | 陸軍三支廠、被爆遺構、広島県建物100選 |
アクセス |
・広島電鉄路面電車「皆実町六丁目」電停から徒歩10分 ・広島バス「西旭町」バス停から徒歩4分 |
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