海上挺進戦隊戦没者慰霊碑
江田島と言えば海軍のイメージですがここ幸之浦に陸軍海上挺進隊の訓練基地がありました。
海上挺進隊は元々は海上輸送を行う陸軍船舶隊から派生した部隊ですが、太平洋戦争末期になると戦局の悪化から直接戦闘を行う部隊となり名前も海上挺進隊と名付けられました。
ここには陸軍船舶練習部第十教育隊が置かれ『まるれ』と呼ばれる兵器の訓練をする訓練施設がありました。
まるれは正式名称は四式肉迫攻撃艇といい、120kg爆雷を2個搭載し最高速力25ノットで夜間に敵船に体当たり攻撃をする特攻兵器でした。特攻兵器であることを秘匿するため「連絡船」の頭文字を取ってまるれ(丸の中に「れ」を書いた文字)が用いられました。
しかし、実際はベニヤ板でできたモーターボートに自動車のエンジンを載せただけのお粗末な兵器でした。当時まるれの整備兵だった方の話でも「こんなもので本当に戦争に勝てるのか疑問に思った」との事です。
また、訓練生の手記によると「自動車のエンジンなので海水を被って故障し体当たりできないことがあった」「敵船からの反撃に備えて搭載される予定だった軽機関銃は、三八式歩兵銃に変更となったがそれすら配備されず拳銃で武装した」とありかなり苦しい状況だったことが伺えます。さらに訓練中に死者が出たという記録も残っています。
似島にも同じく船舶練習部第十教育隊の分隊があり兵舎や桟橋が作られました。また、昭和20年8月に広島市に原子爆弾が投下された際はこの第十教育隊が広島市と似島に救助に出動したと記録が残っています。
ちなみに、海軍も太平洋戦争末期に『震洋』という同じように爆弾を積んで体当たりをする特攻兵器を作っています。
突堤
船舶練習部第十教育隊唯一の遺構
まるれの係留などに使われた突堤です。風化がひどいのかコンクリートで補強されています。
兵舎跡・燃料庫跡
慰霊碑の反対側は山があり兵舎や防空壕・燃料庫などがありました。
現在は土石の採取により平地となっているため遺構はありません。
幸之浦の防空壕跡
幸之浦説教所の近くにあります。
海上挺進戦隊の宿舎・燃料庫から少し離れたところにあります。
現在は民家の用具入れになっています
備考 |
・江田島バスはかなり便数が少ないので注意 ・現実的にみてマイカー等が無い場合は切串港でレンタルサイクルを借りたほうがいい ・防空壕跡は慰霊碑から徒歩8分程のところにある ・江田島ふるさと交流館にまるれの模型が展示されてる ・同じ陸軍船舶練習部第十教育隊の基地跡として似島にも遺構がある ・同じような特攻隊の訓練基地として倉橋島の大浦崎公園(P基地跡)や大浦突撃隊大迫支隊(Q基地跡)がある |
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住所 |
広島県江田島市江田島町幸ノ浦2丁目2 |
駐車場 | なし |
トイレ | なし |
竣工 | 不明 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト | |
分類 | 基地跡、遺構 |
アクセス |
・切串港から徒歩38分 ・江田島バス「幸ノ浦」バス停から徒歩2分 |
海上挺進戦隊戦没者慰霊碑
幸ノ浦の防空壕跡
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