倉井(空母阿蘇終焉の地)
倉橋島東部の倉井
空母阿蘇は雲龍型空母5番艦として昭和18年6月に呉海軍工廠で着工しました。しかし、着工したのが太平洋戦争中期であったため既存艦の修理等が優先され建造は遅々として進みませんでした。
昭和19年11月に呉海軍工廠最後の軍艦として進水したものの、戦局悪化による物資不足から6割程度しか完成していない状態での進水となり、その後の艤装等は中止され放置されていました。
太平洋戦争末期の昭和20年7月に、ここ倉井沖で特攻兵器用爆弾・魚雷の爆破実験の標的艦にされ大破しそのまま終戦を迎えました。第二次呉軍港空襲時の米軍機の攻撃により着底したという説もあります。
建造途中の状態で自軍の特攻爆弾実験のために使われて沈むという当時の日本の苦しい状況が見て取れますが、仮に竣工していたとしても戦争末期の海軍には搭載できる航空機や搭乗員は無かったのではないかといわれています。
また、姉妹艦の空母葛城と空母天城も同じ倉橋島の三ツ子島で戦没しています。
Q基地跡北西沖
空母阿蘇終焉の地は「倉井沖」とする資料と「Q基地の北西沖」とする資料があります。
Q基地跡の西に倉井がある(どちらも袋の内港に通じる湾内)のため、場所的にはほぼ変わりません。
この写真はQ基地跡から見た倉井沖です。
備考 |
・2説あるが県道286号線の倉井から大浦突撃隊大迫支隊跡碑の間に見える海のどこかであることは間違いない ・近年の護岸工事により防波堤が海側に少し拡張されているが海岸線は当時と同じ位置である ・倉井バス停は標識や看板が一切無いため乗降する際は地図で場所を確認すること ・南の室尾港に古い町並みのがあるので興味があれば一緒に観光するといいかも |
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住所 |
広島県呉市倉橋町室尾13543 |
駐車場 | なし |
トイレ | なし |
竣工 | - |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト |
- |
分類 | 艦艇終焉の地 |
アクセス |
・呉市生活バス「倉井」バス停から徒歩2分 |
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