黄幡山機銃砲台跡
黄幡山(おうばんやま)は旧広海軍工廠会計部(現米軍広弾薬庫)の南にある標高61mの山
ここには太平洋戦争中に広海軍工廠・第11海軍航空廠防衛のため防空機銃砲台が構築されました。
黄幡山機銃砲台は太平洋戦争後期の昭和19年1月に着工し当初は『25mm連装機銃』2基が配備される予定でした。1ヶ月後の昭和19年2月に予定よりも多い3基が配備されました。
さらに、同年11月に25mm単装機銃6基も配備され合計9基の防空機銃砲台となりました。また兵舎や弾薬庫等も建設されました。
太平洋戦争末期の昭和20年5月、第11海軍航空廠への空襲で米軍機の攻撃を受け12名の兵士が亡くなりました。
太平洋戦争終戦後昭和25年、空襲で亡くなった兵士を慰霊するため戦死者之碑が建立されました。
現在、黄幡山のほとんどが在日米軍基地となっており一般人が入れるのは山の一部だけです。
電柱
黄幡山にある機銃砲台のコンクリート製電柱
米軍機の機銃掃射を受けた跡が残っています。
黄幡山には他に貯水槽や石造りの階段、丸太小屋等がありますがいずれも造りが新しいため戦後のものと思われます。
九郎山機銃砲台跡
九郎山は黄幡山とつながっている南の山で黄幡山より少し高い標高96mの山です。
ここにも黄幡山と同じく広海軍工廠・第11海軍航空廠防衛のため防空機銃砲台が構築されました。
九郎山機銃砲台は、黄幡山機銃砲台完成の半年後(昭和19年8月)に着工し『25mm機銃』6基を配備するための工事が行われました。
しかし、その後は終戦後の引渡しまで記録がないことから工事中に終戦を迎えたものと思われます。
現在、九郎山には遺構は残っていません。
備考 |
・黄幡山の西側(慰霊碑の先)は在日米軍基地なので不法侵入は厳禁 ・慰霊碑は長浜の峠から黄幡山へ続く農道を登り途中から山道に入るとある ・九郎山は黄幡山と稜線がつながっている南の山 ・九郎山には慰霊碑はないので慰霊碑だけが目的なら黄幡山だけでいいかも ・両山とも草藪が多く春夏は非常に害虫が多いので訪問するなら秋冬がおすすめ ・近くに旧広海軍工廠と旧第11海軍航空廠と明磯神社の鳥居がある ・山の南側のふもとに長浜の地下壕口がある |
---|---|
住所 |
広島県呉市広黄幡町 |
駐車場 | なし |
トイレ | なし |
竣工 | 昭和19年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | とても易しい |
サイト |
- |
分類 | 砲台跡 |
アクセス |
・呉市生活バス「津久茂」バス停から徒歩15分 |
コメント
最新を表示する
NG表示方式
NGID一覧