板城村聴音照射所跡
東広島市の大迫山(標高343m)にある呉鎮守府所属の防空施設
ここには太平洋戦争中の昭和19年3月に呉鎮守府所属の特設見張所があり、空中聴音機と探照灯が配備されていました。
空中聴音機とは敵機が襲来する際のエンジン音を捉えて索敵する兵器で、レーダー技術の遅れた日本では空中聴音機や敵機に直接光を投影して索敵する探照灯が終戦まで使われました。
昭和20年8月6日には広島市に原子爆弾を投下したB-29爆撃機エノラゲイ号を確認しました。また、原子爆弾投下直前に投下された自動計測装置から爆発の閃光まで確認しています。
しかし、特設見張所の存在自体が軍事機密であったためそれ以外の記録は残っていません。
井戸
北側のふもとの農道沿いにあります。
大迫山には水源がないため、この井戸から水を汲み上げて尾根にある聴音照射所まで送っていました。井戸と当時からある小屋が現在も残っています。
聴音機跡
標高289mの尾根にあります。
他の聴音照射所に比べるとかなりコンパクトで、コンクリートではなく石垣で基礎が作ってあります。
通常聴音機を設置する場合は、音がよく聞こえるようにクレーター状に作られたものが多いのですが、こちらは少しでも標高を上げるためか盛り上げるように作られています。
北側に乗り降りするための階段がつけられています。
探照灯跡
聴音機跡より少し登ったところにあります。
ここには九六式150cm探照灯が1基配備されていました。こちらもコンクリートではなく石垣で基礎が作ってあります。
石垣造りのせいか風化が進んでおり、現在では円形の土台の形が確認できる程度となっています。聴音機跡のような階段はついていませんが、元々そのような造りなのか風化によって失われたのか不明です。
指揮所跡(?)
聴音機跡の下にある平坦地
レンガ片と崩れた石垣が残っています。また、聴音機(山頂)側にも削って平坦地にしたような法面の跡があるため、ここに何らかの施設があったと思われます。
大抵の防空監視哨にはレンガ造りの指揮所があるため、レンガ片が落ちている事からもここに指揮所あった可能性が高いです。
山頂から望む東広島市
山頂からの展望は開けていますが、大迫山は標高343mと防空監視哨を作るには低い山と言えます。
目前の東広島市(太平洋戦争中は賀茂郡)もそこまで人口が多い街ではないですが、近くに中黒瀬移動砲台という高射砲部隊が駐屯していたためこのような防空監視哨が作られた可能性があります。
余談ですが、東広島市の人口が増えて街として整備されたのは広島大学が移転してきた昭和57年以降です。それ以前はなかなかの田舎でした。
投下された自動計測装置
原子爆弾投下直前に投下された自動計測装置
広島平和記念公園の平和記念資料館に展示されています。
正式名称は自動通報式爆発測定無線装置といい、原子爆弾の使用による気圧や温度の変化を測定するためB-29爆撃機エノラゲイ号に随伴した観測機からパラシュートを付けて4個投下されました。
うち3つが日本軍によって回収され、原爆投下の4日後に呉海軍工廠電気部無線工場で分解され調査されました。
備考 |
・しっかりした遊歩道が整備されており登山口から遺構まで約20分なので登山というほどではない ・登山口は大迫山の北にあるテクノタウン東広島団地の中に2つある(「大迫山登山口」と看板あり) ・登山口はどちらから入っても距離はほぼは変わらないのでトイレと水飲み場がある「テクノタウン東広島2号公園」の登山口がおすすめ ・遊歩道も2つあるがどちらから行っても大差はない ・龍王山の登山口からは行くことができないので間違えないように ・指揮所跡のレンガ片は落ち葉の多い季節には見えない可能性あり ・井戸は大沢バス停から登山口に行く農道沿いにある |
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住所 |
広島県東広島市西条町馬木516-4 |
駐車場 | なし |
トイレ | 登山口の公園にあり |
竣工 | 昭和19年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | かなり易しい |
サイト |
- |
分類 | 砲台跡 |
アクセス | ・JRバス「大沢」バス停から徒歩40分 |
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