呉憲兵隊跡
呉憲兵隊は現在の呉警察署、もしくは呉税務署辺りにあった海軍の施設
憲兵とは、陸海軍の兵科の1つで軍隊内の犯罪調査や風紀の維持、軍隊内の反戦運動の取り締まり等を行う警察のような組織です。また、戦時下には民間人に対しても軍事機密の保持や防諜のための取り締まりを行います。
呉憲兵隊は明治23年に『広島憲兵隊第3分隊』として創設されました。その後明治31年に『呉憲兵隊分隊』と改称し、太平洋戦争中の昭和17年に呉憲兵隊に昇格します。
記録によるとこの辺りに呉憲兵隊の官衛もしくは兵営があったとされますが、どのような規模の施設があったのか詳細不明です。また、海軍の裁判所である法務部軍法会議所は青山に、海軍の刑務所は二河公園の北と吉浦にありました。
呉は軍港であるため、太平洋戦争中は呉線の車内・駅構内・呉海軍工廠が見える住宅地・見通しのよい高台等でスパイ活動を取り締まる憲兵の姿が市民によく目撃されました。
余談ですが、大正7年に起きた米騒動では全国各地で憲兵隊が出動する騒ぎとなりましたが、軍港呉では海軍のお膝元らしく憲兵隊の他に海兵団や呉湾に停泊していた第二・第三艦隊の陸戦隊が出動しました。
呉憲兵隊分隊庁舎跡
呉憲兵隊分隊庁舎は旧本通り8丁目と旧中通り8丁目(現在の本通り4丁目と中通り4丁目)の間にあった憲兵の施設
呉憲兵隊分隊は非常に厳しい取り調べをすることで有名で、庁舎があった本通り8丁目と中通り8丁目は市民から「地獄の8丁目」と呼ばれ恐れられていました。
また、聞き分けのない子供に対して「良い子にしないと憲兵隊に連れて行くぞ」と叱るとたちまち素直になったという当時の話も残っています。
呉憲兵隊分隊最大の取締事件して知られる昭和16年の呉憲兵隊事件では、検挙者は約500人にものぼり庁舎の屋上に仮設の小屋を建てて収監したという記録が残っています。
備考 |
・官衛もしくは兵舎は第八尋常小学校の南から公園通り入口(現在の市立五番町小学校跡地と呉警察署の間)のどこかにあったとされる ・庁舎は現在のレンガ通り商店街の飲み屋街の辺りにあったとされる ・2つとも遺構や記念碑は無いが徒歩で15分程度の距離である ・呉憲兵隊の憲兵が防諜のために常駐していた寺として萬願寺がある ・広島市にも陸軍の憲兵隊施設として中国憲兵隊司令部跡がある ・近くに呉共済病院(旧呉海軍共済病院)と二河橋がある |
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住所 |
呉憲兵隊跡:広島県呉市西中央2丁目1-14(?) 庁舎跡:広島県呉市中通4丁目(?) |
駐車場 |
呉憲兵隊跡:呉駅にあり 庁舎跡:周辺にコインパーキングが複数あり |
トイレ |
呉憲兵隊跡:近くの呉駅にあり 庁舎跡:近くのきらら公園にあり |
竣工 | 不明 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト | - |
分類 | 基地跡 |
アクセス |
呉憲兵隊跡: ・呉駅から徒歩5分 ・広島電鉄バス「中央1丁目」バス停より徒歩3分 庁舎跡: ・広島電鉄バス「本通4丁目」バス停より徒歩すぐ ・中国JRバス「呉本通4丁目」バス停より徒歩すぐ |
呉憲兵隊跡
庁舎跡
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