大空山公園(大空山砲台跡)
安芸阿賀駅の北にある標高205mの大空山
ここには明治36年に陸軍が呉防衛のために作った広島湾要塞の1つ、大空山砲台があります。
広島湾要塞の砲台は侵攻してくる外国艦隊を迎撃するために作られたものが多いですが、大空山砲台は上陸して背後から攻めてくる敵から呉を守るために作られました。「背後」というのがどこを指すのか不明ですが、恐らく広方面から呉を目指してくる敵を想定しているものと思われます。
その後、広島湾要塞廃止に伴い、他の砲台と同じく大正15年に廃止されました。
太平洋戦争の時代になると、南の高烏台砲台と同じく海軍呉鎮守府に移管され広海軍工廠防衛のための防空砲台に転用されました。
高烏台砲台と違うのは、あちらは太平洋戦争が始まった昭和16年に早々に防空砲台に転用されたのに対し大空山は昭和19年12月に工事開始とかなり遅れての転用となりました。
太平洋戦争終戦まで一般人の立ち入りは禁止されており、地元の人からは「砲台山」と呼ばれていました。また、資料によっては大室山砲台と記載されているものもあります。
大空山からの眺め
大空山は標高205mと砲台を作るにはやや低い山ですが南に瀬戸内海、東は広市街地と視界は開けているため砲台が作られたと思われます。
また、大空山の後ろにある灰ヶ峰にも太平洋戦争中に防空砲台がありました。
倉庫
砲台跡から100mほど降りた三叉路にあるカマボコ型の倉庫です。
通常、砲台にある倉庫は火薬等を保管するため、爆発事故が起きた時に爆風を逃がすよう屋根だけは木製でできているものが多く、屋根まで石造りの倉庫はめずらしいです。
陸軍砲台時代の遺構と思われます。
砲台床・砲弾置き場
陸軍砲台時代に作られた砲台床
砲台床は2つあり明治時代に28cm榴弾砲4門が配備される予定でしたが、結局未配備のまま大正15年に廃止されました。
昭和19年12月に海軍防空砲台に転用された際に『八八式7.5cm野戦高射砲』が6門が配備されました
火薬庫
こちらも陸軍砲台時代の火薬庫です。
1つは掃除用具入れになってます。
八八式7.5cm野戦高射砲の部品
展望台の裏にあります。
海軍防空砲台時代に配備された『八八式7.5cm野戦高射砲』の部品です。大空山砲台には6門が配備されていました。
観測所・指揮所
陸軍砲台時代に作られた観測所と指揮所
備考 |
・安芸阿賀駅(南側)から行くルートと畑にある原バス停(西側)から行くルートがある ・どちらも時間はあまり変わらないが安芸阿賀駅ルートの方が道がわかりやすいのでおすすめ ・どちらのルートも車道なので登山という程ではないが距離は結構ある ・展望台から旧広海軍工廠と旧第11海軍航空廠、情島(戦艦日向終焉の地)、倉橋島の亀ヶ首射撃実験場跡が見える |
---|---|
住所 |
広島県呉市広町25 |
駐車場 | あり |
トイレ | あり |
竣工 | 明治34年/昭和19年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | 易しい |
サイト | |
分類 | 砲台跡、日本遺産 |
アクセス |
・安芸阿賀駅から停徒歩40分 ・広島電鉄バス「原」バス停から徒歩30分 ・広島電鉄バス「小倉新開」バス停徒から徒歩30分 |
コメント
最新を表示する
NG表示方式
NGID一覧