呉海軍航空隊飛行場跡

ページ名:呉海軍航空隊飛行場跡

呉海軍航空隊飛行場跡

呉海軍航空隊飛行場は、現在の虹村公園の一部からクリーンセンターの辺りにあった海軍の飛行場

現在は工業団地となっていますが、太平洋戦争終戦までここに呉海軍航空隊の飛行場があり、X字型の滑走路が存在していました。

呉海軍航空隊は大正14年に『佐世保航空隊広分遣隊』として創設しました。創設当時は水上機のみが配備されました。

その後、昭和に入るとワシントン海軍軍縮条約やロンドン海軍軍縮会議で艦船の建造が制限されたこともあって、対岸にある広海軍工廠では制約のない航空機の研究・開発が進みます。その試験飛行の場所として航空隊用地が使用されました。

その後、昭和6年に呉海軍航空隊として独立し、昭和9年には1000mのX字型滑走路や格納庫・庁舎などが作られました。

呉海軍航空隊は横須賀海軍航空隊、佐世保海軍航空隊の次に作られた3つ目の鎮守府直属の航空隊でしたが、他海軍航空隊に比べて滑走路が短かかったため陸上機の運用は少なかったとされています。主な保有機は水上偵察機や零式艦上戦闘機等の艦載機でした。

昭和20年5月に呉海軍航空隊は廃止となりますが、太平洋戦争末期の呉海軍工廠への空襲の際はここから迎撃機が発進したという記録も残っています。

太平洋戦争終戦後の昭和20年9月26日、初めて呉市に進駐軍先遣隊が降りたのがここ呉海軍航空隊飛行場でした。また、進駐軍用官舎もこの飛行場跡に建設されました。

余談ですが、進駐軍用官舎はカラフルな建物が多く「レインボービレッジ」と呼ばれていました。その経緯から現在でもこの辺りは「虹村」と呼ばれていますが、これは呉海軍航空隊が「虹部隊」と呼ばれていたことに由来するという説があります。

呉海軍航空隊庁舎

昭和10年頃の呉海軍航空隊庁舎の写真

大和ミュージアムに展示されています。

 

備考

・現在のクリーンセンターの辺りが飛行場跡の南端で、それ以南にある多賀谷多目的広場(広多賀谷グランド)などは戦後に埋め立てられた土地である

・呉市生活バスは便数が非常に少ないので新広駅から歩いた方が早い

・新広駅から行く場合は中国労災病院への通路を使えばショートカットできる

・広島市にも同じように陸軍が埋め立て地に作った陸軍吉島飛行場跡がある

・近くに虹村公園(広燃料置場重油槽跡)旧広海軍工廠と旧第11海軍航空廠がある

住所

広島県呉市広多賀谷3丁目7-3

駐車場 近くの虹村公園にあり
トイレ 近くの虹村公園にあり
竣工 昭和6年
公開 常時
登山難易度
サイト

分類 基地跡
アクセス

新広駅から徒歩20分

・呉市生活バス「多賀谷町3番」バス停から徒歩すぐ

・呉市生活バス「多賀谷町2番」バス停から徒歩すぐ


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