広燃料置場跡
広燃料置場は現在の新広駅の南にあった海軍の燃料基地
現在は虹村公園と工業団地となっていますが、太平洋戦争終戦までここは海軍の燃料基地である広燃料置場があり、大量の地中式重油槽がありました。
広燃料置場は、海軍艦艇や海軍工廠で使用する燃料である重油を貯蔵する燃料基地として建設されました。
大正14年より用地買収が始まり昭和6年に最初の地中式重油槽12基が完成しました。その後、太平洋戦争終戦時までに合計125基が作られました。
太平洋戦争終戦と共に広燃料置場は廃止となり、戦後は進駐軍用官舎の一部となりました。昭和25年の旧軍港市転換法により呉市に譲与され、現在は地中式重油槽ごと埋め立てられて虹村公園と工業団地となっています。
余談ですが、虹村公園の「虹村」は広燃料置場の南にあった呉海軍航空隊が「虹部隊」と呼ばれていたことに由来するという説があります。
虹村公園の重油槽跡
虹村公園の中にある地中式重油槽の跡
1つ目は円形の窪み、2つ目は運動場の中の円形跡、3つ目は公園の境界にコンクリート製の遺構が残っています。
地中式重油槽跡は直径20mで深さが40mもある非常に巨大なものです。
民間企業内の重油槽跡
虹村公園の北の民間企業にも重油槽跡が2つあります。こちらは原型をしっかり留めている貴重な遺構です。
水蓄式油槽鉄蓋
直径20mの重油槽の蓋に4つの鉄蓋が付けられていました。
鉄蓋のうち丸型と四角型のものが入船山記念館に展示されています。
視覚的には「フタに付いている栓」のような感じですが、この栓が現代のマンホール程度の大きさですので重油槽がいかに巨大であるかがわかります。
貯水池
虹村公園の北にあります。
この貯水池も広燃料置場が作られた際に設備として同時に作られました。
備考 |
・新広駅から少し距離があるがバスの路線が少ないので時間帯によっては歩いた方が早いかも ・新広駅から行く場合は中国労災病院への通路を使えばショートカットできる ・虹村公園内の重油槽跡(凹み)は北側入口のトイレの近くにある ・貯水池は虹村公園の北の道路を渡るとある ・民間企業の重油槽跡は虹村公園の北にある工業団地の中にある ・鉄蓋は入船山記念館にある ・同じ海軍の作った燃料基地として吉浦の海上自衛隊呉造修補給所貯油所(旧海軍軍需部乙廻燃料置場)と江田島の海上自衛隊呉造修補給所工作部エアクッション艇整備科(旧海軍飛渡瀬燃料置場)と倉橋島の海軍軍需部倉橋島燃料置場跡がある ・近くに呉海軍航空隊飛行場跡と旧広海軍工廠と旧第11海軍航空廠がある |
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住所 |
広島県呉市広多賀谷2丁目9 |
駐車場 | 虹村公園にあり |
トイレ | 虹村公園にあり |
竣工 | 昭和6年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト |
- |
分類 | 海軍工廠、基地跡、遺構 |
アクセス |
・新広駅から徒歩15分 ・広島電鉄バス「広大橋」バス停から徒歩7分 ・呉市生活バス「中国労災病院」バス停から徒歩8分 |
虹村公園の重油槽
重油水槽跡
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貯水池
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