螺山砲台跡

ページ名:螺山砲台跡

螺山砲台跡

螺山(つぶやま)は長浜集落と白岳住宅地の間にある標高238mの山

かつてここに広海軍工廠防衛のための螺山防空砲台が作られました。

螺山防空砲台は太平洋戦争前の昭和12年に竣工しており開戦時には『四〇口径三年式8cm高角砲』2門が配備されていました。開戦後は聴音機が追加され、それに伴う電源増設のために変圧所が設置されるなど改修されます。

昭和19年3月には四〇口径三年式8cm高角砲が2門から4門に増強されます。しかし、半年後の9月に新宮防空砲台にすべて移設され武装がない防空監視所となってしまいます。

昭和20年1月に秋月型駆逐艦の主砲に使われた『六五口径九八式10cm連装高角砲』という最新の大型高射砲2門が配備され、再び防空砲台として稼働します。

また、呉周辺の防空砲台としてはめずらしく4号2型電波探信儀も配備され、なかなかの新鋭防空砲台だったことが伺えます。

ちなみに、地元の人は螺山ではなく「名田山」と呼ぶ人もいます。

砲台床(西)

太平洋戦争前の竣工ですがレンガは使われておらずコンクリートで作られています。

駆逐艦の主砲が砲台になっているだけあって、他の砲台と比べて土塁が高く中心も掘り下げてあるため土塁と砲台床の高低差が4m近くある独特の造りになっています。

砲弾置き場(西)

砲弾置き場は奥が深いものと浅いものが交互に作られています。

同時期に作られた吉松山防空砲台と同じ構造で、昭和以降に作られた砲台の砲弾置き場はこういう造りになっています。

連絡通路

砲台床は東西に1つづつあり中央の連絡通路で結ばれています。

塹壕を想像させるような造りですが、砲台床に近い部分はコンクリートで作られており中央に近づくと石垣→素掘りに変わります。

砲台床に近いコンクリートの部分は予備の砲弾置き場が設けられてます。

砲員待避所(西)

素掘りで掘られた砲員待避所。中央に2つあります。

砲員待避所とは高角砲発射の爆風と爆音から兵士を守るための場所です。

ただし、土塁も連絡通路と同じ高さしかないのでしゃがんで何とか全身が入る程度の深さしかありません。

砲台床(東)

東側の砲台床は風化が激しく崩落しています。

造りは西側と同じですが、こちらは登山道に入っていないため風化の進みが早いのかもしれません。

砲台床・土塁・連絡通路への道どれも造りは西側と同じです。

山頂のアンテナ塔(8cm高角砲の砲台床・兵舎跡)

こちらは旧式の四〇口径三年式8cm高角砲が4門配備されていた砲台床跡

現在は埋め立てられてテレビ局のアンテナ塔に転用されています。遺構は残っていません。

山頂(兵舎跡)

アンテナ塔(8cm高角砲砲台)の近くにかつて兵舎もありました。

現在は畑に転用されておりこちらも遺構は残っていません。

水槽跡

アンテナ塔(8cm高角砲砲台)の裏の山中にある水槽の跡

斜面を四角く切り取って平坦にした跡が残っています。

位置的に兵舎と離れているため防火用水槽の跡かと思われます。

 

備考

・ルートは2つあるが2つとも四差路(林道螺山線の入口)で合流するので四差路からのルートは1本道になる

・林道を行くと山頂にテレビ局のアンテナ塔(8cm高角砲の砲台跡)がありそこから登山道に入って200mほど歩くと砲台跡がある

・登山道は道しるべがあるが念のため登山装備で行った方がいい

・ほとんどの行程は車道だが最後の200mは登山が必要(砲台跡自体が山中にあるため)

・北側ルートから行く場合は「白岳住宅前」バス停は便数が少ないので「東のりば」バス停から行った方が早いかもしれない

・ここの土塁は他と違ってかなり高さがあるので転落に注意

・同じ第11海軍航空廠防衛のため設置された砲台として黄幡山砲台跡吉松山防空砲台跡がある

住所

広島県呉市広小坪1丁目9-1

駐車場 なし
トイレ なし
竣工 昭和12年
公開 常時
登山難易度

やや易しい

サイト

分類 砲台跡
アクセス

・呉市生活バス「白岳住宅前」バス停から徒歩1時間30分

・呉市生活バス「小坪」バス停から徒歩1時間40分


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