殉国の塔
旧呉海軍工廠を見下ろす鍋山第一公園にあります。
「呉のひめゆりの塔」といわれるこの慰霊碑は、昭和20年6月の呉海軍工廠空襲により殉職した工員や軍人を慰霊する目的で建立されました。
昭和20年6月の呉海軍工廠への空襲では計290機の米軍機が1289発の爆弾を投下し、犠牲者の数は476名にものぼるといわれています。空襲後は「海軍工廠の建物がほぼ無くなり山側から呉湾がすべて見えた」といわれるほど徹底的に破壊されました。
また、太平洋戦争末期の呉海軍工廠の労働者はほとんどが召集された動員学徒や女子挺身隊などの女学生でした。多くの女学生は防空壕へ逃げ込みましたが防空壕自体を爆撃されて生き埋めになったり、爆風で地形が破壊され海水が入り込んで溺死したりと悲惨な有様でした。
殉国の塔は亡くなった女学生たちを慰霊するため太平洋戦争終戦後の昭和40年に建立されました。当初は民間企業の敷地内にあり参拝すら難しい状態で荒れていたため、平成20年に旧呉海軍工廠を見渡せるここ鍋山第一公園に移転されました。
しかし、ここに戦争中の勤労女学生の慰霊碑があるという話は地元呉市民もあまり知りません。
余談ですが、この慰霊碑の上部が三角形になっているのは防空頭巾を表しています。これは「亡くなった女学生の多くが防空頭巾を被って防空壕に逃げ込んだ」「防空頭巾を被っていたのに亡くなってしまった」ということに由来しています。
備考 |
・毎年6月22日に慰霊祭が行われる ・海側(旧呉海軍工廠側)から直線で来れないので注意 ・呉駅からバスで行く場合は宮原経由か坪ノ内経由の便でないと行けないので注意 ・同じ趣旨の慰霊碑として二河公園の呉海軍工廠殉職者招魂碑と養運寺の呉海軍工廠職工殉職者各霊永供養塔と広の工僚神社がある ・近くに鍋山防空機銃砲台跡と鍋山防空砲台跡がある |
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住所 |
広島県呉市警固屋1丁目3-2 |
駐車場 | なし |
トイレ | なし |
竣工 | 昭和40年/平成20年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト |
- |
分類 | 記念碑、海軍工廠 |
アクセス |
・広島電鉄バス「鍋山団地」バス停から徒歩2分 |
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