呉市戦災遭難者供養塔と和庄防空壕跡

ページ名:呉市戦災遭難者供養塔と和庄防空壕跡

呉市戦災遭難者供養塔

寺西公園にあります。

昭和20年7月の第二次呉軍港空襲で亡くなった人を供養する地蔵尊です。

第二次呉軍港空襲は市街地へ爆撃が最も大規模に行われた空襲で、呉市は火の海となり民間人だけでも約2000人が亡くなりました。

ほとんどの人は防空壕に逃げ込みましたが、太平洋戦争末期の空襲では『焼夷弾』と呼ばれる火災を発生させる目的の爆弾が使われたため、周りの建物が燃えることによる熱風と熱炎で蒸し焼きになったり、煙が防空壕内に大量に流入し窒息死する人が多数でました。

この地蔵尊は呉市民の犠牲者を供養するため昭和25年に建立されました。以来、毎年7月1日に犠牲者追悼会が行われています。

また、呉市では第二次呉軍港空襲前日の6月30日は「平和の日」に制定されています

呉空襲犠牲者供養地蔵(和庄防空壕跡)

こちらは和庄公園にあります。

昭和20年7月の第二次呉軍港空襲の際に、和庄防空壕で亡くなった約800人を供養する地蔵です。

和庄防空壕は横穴式防空壕で5つの横穴で内部で繋がっており電灯を備えるなど大規模な防空壕でした。しかし住民が殺到したためすし詰め状態になり圧死したり、周辺の家屋の火災の熱で蒸し焼きになって焼死したり、火災により発生した大量の煙が防空壕に流入して窒息死したりと多くの人が亡くなりました。

第二次呉軍港空襲では市民だけで約2000人が亡くなりましたが、半数近くがこの和庄町付近の住民でした。

太平洋戦争終戦後、慰霊のため『延命地蔵』という小さな地蔵が建立されましたが平成19年に和庄防空壕跡が取り壊され地蔵も新しいものが作られました。(※写真左にある小さな地蔵が古い地蔵)

毎年7月1日に犠牲者慰霊祭が行われていましたが、参加者の減少や世話人の高齢化により平成27年以降は行われていません。

 

備考

・和庄防空壕の犠牲者の数は約1000名とする資料もある

・2つの公園は徒歩3分ほどしか離れてないので一緒に見学するといいかも

・和庄防空壕跡は和庄公園南側の住宅が建っている辺りにあったが今は残っていない

・住宅地のド真ん中にあるので地図を見ないとわかりづらいかも

・戦災遭難者供養塔の慰霊祭は呉市合同慰霊式と合併されたという話もあり現在は行われていない可能性もある

・同じ呉市内の防空壕慰霊碑として此彼堂(城家防空壕跡)がある

住所

寺西公園:広島県呉市本町13-13

和庄公園:広島県呉市本町18-9

駐車場 なし
トイレ 和庄公園にあり
竣工 昭和25年/昭和63年
公開 常時
登山難易度
サイト

分類 記念碑
アクセス

・呉駅から徒歩18分

・広島電鉄バス「呉本通り三丁目」バス停から徒歩3分


呉市戦災遭難者供養塔

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呉空襲犠牲者供養地蔵

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