呉水交社跡

ページ名:呉水交社跡

呉水交社

呉水交社は現在の公務員合同宿舎と海上自衛隊幸宿舎にあった海軍の福利厚生施設

呉水交社は海軍高級軍人や士官のための宿泊・娯楽などの施設で、呉市街地を一望できる清水川沿いの高台に位置し呉鎮守府司令長官官舎とも隣接していました。

また、海軍将校の親睦や研究の場として知られており、海軍記念日をはじめとする海軍の祝賀行事はほとんど呉水交社で開催されました。呉水交社で結婚式を挙げたという海軍士官の記録も残っています。

呉水交社の元である『水交社』は海軍の直営ではなく、海軍武官の皇族が総裁を務め海軍大臣が社長となる軍属企業でした。

水交社は明治9年に創設され本社は東京にありました。各鎮守府や要港に支社があり、呉には『呉水交社支社』が設けられました。その後、昭和2年に平屋建てだった建物は2階建てに増築され大食堂や個室が増改築されます。

昭和3年には独立し呉水交社と改称します。この時は横須賀・佐世保・舞鶴の他3鎮守府の水交社支社も独立しそれぞれの水交社となりました。

昭和12年に、再度、増築が計画されますが日中戦争開戦の影響により延期され昭和14年に増築が完了しました。

太平洋戦争中の昭和18年には木造2階建ての第二別館が竣工しました。水交社は海軍士官の親睦の場として戦争中も運営されましたが、太平洋戦争終戦の海軍の解体に伴い廃止となりました。

なお、士官より下の準士官には海友社が、それより下の下士官には下士官兵集会所と呼ばれる別の福利厚生施設がありました。

また、呉海軍工廠の職人にも廠友館が、中堅・上級技術者には工廠俱楽部という福利厚生施設もありました。

石垣と遺構

呉水交社時代に作られたと思われる石垣と遺構

石垣は呉線を挟んで、呉水交社の一部といわれている呉YWCAからつながっています。

四角形の遺構は水路用の設備、もしくは支柱跡と思われますが詳細不明です。

旧水交神社

水交神社は呉水交社にあった神社で、昭和18年に海軍によって建立されました。

太平洋戦争終戦の海軍の解体により祭主を失い、戦災によって社殿を焼失していた亀山神社の仮社殿として使用されました。

その後、昭和33年に亀山神社が改築再建されると仮社殿は不要となり一時転々としますが、昭和43年に入船山記念館へ保存移築されました。

呉水交社支社

呉水交社支社の写真(絵はがき)

 

備考

・公務員合同宿舎と海上自衛隊幸宿舎の敷地には入れない

・呉水交社の倉庫(という説がある)として呉YWCAがある

・呉水交社支社は資料によっては『呉水交支社』と表記されているものもある

・旧水交神社は水交社跡地ではなく入船山記念館にある

・近くに呉YWCA入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎)海上自衛隊呉地域事務所跡(旧下士官兵集会所)がある

3項目の写真は広島県立文書館蔵の広島県立文書館資料デジタル画像より引用

住所

広島県呉市幸町3-10

駐車場 少し遠いが入船山公園に有料駐車場あり
トイレ 少し遠いが入船山公園にあり
竣工 明治9年
公開

非公開

登山難易度
サイト

分類 基地跡
アクセス

・呉駅から徒歩13分

・広島電鉄バス「眼鏡橋」バス停から徒歩3分


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