床下式防空壕跡
川原石の古い民家に残るめずらしい床下防空壕跡
太平洋戦争初期の防空壕は、各家庭でこのような家屋の床下や庭に家族が入る分の防空壕が作られました。
一般的なものは、深さは約1.5mで床下に穴を掘って板を置き土をかぶせるという作り方でした。この防空壕跡も家屋の奥まで続いています。
しかし、昭和20年3月の東京大空襲では床下式防空壕は意味がないことが判明します。
太平洋戦争末期の日本本土への空襲では『焼夷弾』と呼ばれる火災を発生させる目的の爆弾が使用されました。家屋に焼夷弾が直撃すれば火災が発生し、床下式防空壕に避難しても蒸し焼きになって亡くなる危険性があるうえに、住宅の密集した都市部では延焼による危険性も深刻でした。
さらに、高高度から投下された焼夷弾は家屋を貫通して床下まで到達することもあり、床下式防空壕はまったく効果がないことが判明しました。
そのため、東京大空襲以降は斜面などに穴を掘る横穴式防空壕が主流となります。坂の町である呉市では斜面が多いため横穴式防空壕が多く作られました。
しかし、横穴式防空壕も周辺の家屋の火災の熱で蒸し焼きになって焼死したり、火災により発生した大量の煙が防空壕に流入して窒息死したりと必ずしも安全とは言いがたいものでした。
備考 |
・この建物は個人の邸宅であり公開されていない ・イベント等で特別公開される場合がある ・住人の方のお話では「防空壕だった」との事だが床下倉庫を防空壕に転用していた可能性もあり |
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住所 |
広島県呉市海岸 |
駐車場 | なし |
トイレ | なし |
竣工 | 不明 |
公開 | 非公開 |
登山難易度 | - |
サイト |
- |
分類 | 遺構 |
アクセス |
- |
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