淡水小学校跡
淡水小学校は、呉鎮守府海軍将校の子供や家族を教育する学校として創設されました。
当初は『呉鎮守府軍政会議所附設私立淡水小学校』といい軍政会議所兼水交社が建てられた翌年の明治23年に、軍政会議所附属舎を校舎として使用しました。現在の小中高校と同じく高等科・尋常科・附属の幼稚園が設けられました。
明治36年には私立淡水小学校と改称されましたが、大正8年には呉市に経営が移り清水通尋常小学校と改名しました。しかし、昭和20年7月の第二次呉軍港空襲により校舎は焼失しました。
太平洋戦争終戦後の昭和22年に、八幡国民学校と合併し現在の和庄小学校となりました。現在、跡地には記念碑と戦前からあると思われる遺構が残っています。
余談ですが、呉市で最も古い学校は明治5年に宮原村に作られた日新館(現在の宮原小学校)です。
送水管・階段・塀
淡水小学校の遺構と思われるもの
金属製の送水管と階段と塀が残っています。送水管には「昭和12年」と書かれており戦前のものであることがわかります。
備考 |
・清水1丁目バス停から清水ヶ丘高等学校の方向に行くとある(呉医療センター職員宿舎の下) ・金属製の送水管は記念碑の近くにある ・階段と塀はとなりのスーパーの駐車場にある ・近くに亀山神社と此彼堂(城家防空壕跡)がある |
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住所 |
広島県呉市清水1丁目10-45 |
駐車場 | なし |
トイレ | なし |
竣工 | 明治23年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト |
- |
分類 | 記念碑、遺構 |
アクセス |
・呉駅から徒歩18分 ・広島電鉄バス「清水1丁目」バス停から徒歩すぐ |
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