呉YWCA(旧水交社?)
YWCAとは「Young Women's Christian Association」の略で、キリスト教を基盤に女性の社会参画を進めて世界平和実現を目指す団体です。その歴史は古く江戸時代の安政元年にイギリスで結成されました。
呉におけるYWCAは、太平洋戦争終戦2年後の昭和22年に英連邦軍YWCAの呼びかけにより発足しました。この時は英連邦軍が接収して使用していたKureHouse(旧下士官集会所)での活動となり兵士の福利厚生や女性兵士のためのホステルを提供しました。
太平洋戦争終戦後に進駐してきた英連邦軍はフラタニゼーション政策により日本市民との交流を禁止したため、当初呉市民と英連邦軍の交流はまったくありませんでした。
しかし、朝鮮戦争が開戦すると呉市にも英連邦軍朝鮮派遣軍が置かれ、このころになると呉市民と英連邦軍兵士との交流も盛んになりました。現在のレンガ通り商店街にも英連邦兵士向けの英語看板を掲げる店がで始めます。
1年後の昭和23年に、英連邦YWCAより独自の建物使用を許可され英連邦軍が接収していた旧海軍の水交社(と思われる建物)を払い下げられました。ここに『呉YWCA』が創設されます。
当初は「建物は過大であり、窓や敷物はなく、住むには困難」とされていましたが、英連邦軍からの寄付や家具等を譲り受け改装工事を行い活動を開始しました。現在でもこの建物が呉YWCAとして使用されています。
余談ですが、YWCAの男性向けの団体が有名な「YMCA」(Young Men’s Christian Association)です。
外観
呉YWCAは「海軍第二門に面し、道路と川に囲まれたV字型の木造2階建て」という非常にめずらしいロケーションです。
この建物に関しては太平洋戦争終戦までの記録は一切残っていません。
「海軍の準士官の福利厚生施設である水交社であった」という説、「海軍の倉庫であった」という説、「水交社の倉庫を太平洋戦争中に”海軍の倉庫”として使っていた」という説など様々あります。少なくとも太平洋戦争中の昭和17年には存在していたようです。
呉市街地は太平洋戦争末期に幾度なく空襲に見舞われ、多くの建物が被災しましたがこの「由来不明の建物に被害はなく当時の姿を残している」とは何とも不思議な話です。
ホール
1階のホール
元々中央に4本の柱がありましたが改装の際に外されました。また記録によると窓が無い建物だったため改装時に付けたものと思われます。
ホール奥にはキッチンがありますがこれは戦前に造られたものといわれています。
ホールの落書き
呉YWCA創設当初、ホールの壁に英連邦軍の兵士が落書きした英語が壁に残っていました。
現在は塗装され直しているので確認することはできません。
階段
戦前建築特有の二股に分かれる階段と踊り場
現存する海軍の木造建築は非常にめずらしいですが、歩くと木造階段のいい音がします。
家具
呉YWCA発足時に英連邦軍から譲り受けた家具
どれも70年以上前のもので貴重な物と思われます。
201号室(旧礼拝堂)
2階の201号室は接収した英連邦軍の将校が礼拝堂として使用していました。
現在も礼拝堂で使われていた長椅子が2つ残っています。
206号室
2階の最南西の部屋
2階は元々大きな一部屋であったとされていますが、現在は6つの小部屋に分割されています。
その他内部
備考 |
・内部の見学は「特別公開時に見学」「カルチャースクールへの参加」「貸室の有料レンタル」「建物内で開催されるイベントへの参加」のいずれかに限られる ・内部すべてを見学したい場合は特別公開時に見学するのが無難 ・呉駅からだと歩いた方が早いかも ・近くに海上自衛隊呉地域事務所跡(旧下士官兵集会所)と亀山神社と入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎)と呉医療センター(旧呉海軍病院)がある |
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住所 |
広島県呉市幸町3-1 |
駐車場 | 少し遠いが入船山公園に有料駐車場あり |
トイレ | 少し遠いが入船山公園にあり |
竣工 | 不明 |
公開 |
常時 |
登山難易度 | - |
サイト | |
分類 | 基地跡 |
アクセス |
・呉駅から徒歩13分 ・広島電鉄バス「眼鏡橋」バス停から徒歩5分 |
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