太田川漁業協同組合(旧亀山水力発電所)
亀山発電所は正式名称は『広島電燈亀山水力発電所』といい、広島県安佐郡亀山村(現在の広島県広島市安佐北区可部町)にあった太田川の水力発電所です。
太田川は1年を通して水量が豊富で水源として利用されますが、電源地帯としても古くから使われており現在も16の水力発電所が太田川水系にあります。
亀山発電所は広島電燈株式会社により明治43年に着工し、明治45年に竣工した太田川水系における最初の大規模水力発電所です。
レンガ造りに御影石の2つのラインが美しい発電所ですが、広島電燈株式会社の発電所にはこの御影石の2本のラインが入っているのが特徴です。
広島電燈株式会社は、明治27年にすでに広島市街地に大手町火力発電所を操業させていました。しかし、日清戦争で広島市に大本営や帝国議会が置かれ宇品港が陸軍の兵站拠点になると電力需要が増加したため、ここ亀山村に水力発電所の建設を決めます。
場所的には太田川中流の宮野渕から今井田にかかる川がW字型に曲がっている地点に建設されています。
W字の左側のV(宮野渕の辺り)から導水トンネルを掘り右側のV字(発電所の裏山)までつながっていました。W字の川が上流から下流に流れるのをショートカットするように人工的なトンネルが作られているイメージです。
トンネルに川の水を流すことで発電所の裏に人工的な川を作り、水車室にあるタービンを回して発電し2100Kワットを発電していました。
亀山発電所の完成により広島市の電力総需要は満たされ大手町火力発電所は廃止となりました。また、電気料金は15%も下がりそれまで中流階級しか使えなかった電灯も市内全戸に普及しました。
その後も操業開始から実に61年間、9回の洪水や台風の被害に耐えて操業しましたが昭和47年7月の豪雨災害で甚大な被害を受け、老朽化により復旧しても採算困難とされ翌年に廃止されました。
現在は太田川漁業協同組合の事務所として使用されています。
洪水の跡
亀山発電所を襲った9度の洪水の跡
1番高い水位は太平洋戦争中の昭和18年9月の台風26号で3.8mの浸水です。
内部(発電機室跡)
向かって左側(山側)の壁の向こうにタービンがあり、この発電機室には3機の発電機がありました。
床はコンクリートで埋め戻されていますが、明治時代のイギリス積みのレンガ壁や木造の天井・作業用クレーンなどが現存しています。
発電機
イギリス製の発電機。3機あったうちの1機が展示されています。
水の流れる力を利用して水車(タービン)を回しタービンと繋がっているこの発電機を回転させて発電します。
1機で700Kワットを発電します。
内部(変電室跡)
北側にある変電室跡
この2階が事務所として利用されています。
水槽跡
発電所の上(山側)にある水槽と階段の跡
導水トンネルから送られた水はこの水槽に溜まった後、水車室へ送水されます。また、オーバーフローした際は階段手前の堰から直接太田川に流れるようになっていました。
現在は再利用されていないようです。
レンガ片
旧発電所の北にあるレンガ片
発電所の附属施設があったと思われますが詳細不明です。
備考 |
・バスは便数が少ない上にあき亀山駅から歩いても時間的に変わらないので駅から歩いた方が早いかも ・「発電所前」というバス停はなぜか最寄りバス停ではない ・県道267号線は道幅の割に交通量が結構多いため写真を撮る際は注意 ・宮野渕に導水トンネルの入口が残っているらしいが詳細不明 ・呉市阿賀南にも発電所跡として延崎火力発電所跡がある ・同じ太田川を水源とする水源地として海軍の戸坂取水場(旧戸坂水源地)と陸軍の牛田浄水場(旧牛田水源地)がある |
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住所 |
広島県広島市安佐北区可部町大字今井田418-81 |
駐車場 | なし |
トイレ | なし |
竣工 | 明治45年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト | |
分類 | インフラ |
アクセス |
・あき亀山駅から徒歩15分 ・広島交通バス「荒下」バス停から徒歩10分 ・広島交通バス「発電所前」バス停から徒歩20分 |
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