二河公園
二河(にこう)公園は二河峡の下流にある二河川沿いの公園
元々は海軍が明治30年頃に作った射撃場の一部でしたが大正5年に呉市に払い下げられ、大正天皇御即位の記念として公園として整備されました。
昭和9年に発行された呉軍港案内では音楽堂・海光館・図書館・擇善館・慰霊碑の他、野球グランドとテニスコートがあると記されており戦前から市民のスポーツの場として利用されていたことがわかります。
昭和10年には呉市で開かれた『国防と産業大博覧会』の会場として使用されました。また、太平洋戦争中は園内の山に防空壕が作られました。
終戦後は進駐してきたイギリス軍が使用していましたが、現在は呉市に返還され戦前と同じく市民がスポーツを楽しむ場として利用されています。
なお、平成元年に開通した広島呉道路の用地として公園南端が削り取られた形になりましたが、元々は女子高等小学校(現呉市立呉中央中学校)の北までが二河公園でした。
防空壕跡
太平洋戦争末期の防空壕跡。東側の山沿いに5つ現存しています。
園内の山はそれほど大きくないのですが、公園周辺は平坦地が多く防空壕を掘れるような斜面が無いため集中的に作られたものと思われます。
昭和20年7月の第二次呉軍港空襲の際は、避難してくる人が殺到して入りきれない状態でした。
御典橋
公園の東側にあります。
皇太子時代の昭和天皇の行脚を賜った際に建てられた橋です。行啓記念館という3階建ての建物も造られましたがそちらはすでに無くなっています。
擇善館跡
擇善館は呉市の公衆衛生向上のために公園整備と同時建てられた建物です。
同じ園内に図書館があったことから現在の保健所か衛生講習会場のようなものと思われます。太平洋戦争末期の昭和20年7月第二次呉軍港空襲では、呉市役所の防空本部として使われました。
現在は残っておらず記念碑が建てられています。
呉鎮守府殉職者招魂碑
駐車場にあります。
明治26年から昭和20年までの呉鎮守府管下非戦闘員殉職者を祀る慰霊碑です。
元々は呉海軍工廠の殉職者を慰霊するために大正11年に建立された慰霊碑でしたが、太平洋戦争終戦後の昭和50年に海軍工廠殉職者だけではなく「呉鎮守府管下非戦闘員の慰霊碑」と改められました。
桜の紋章やスクリューと錨のレリーフが元海軍工廠の慰霊碑であったことを伺わせます。
忠勇護国・殉職者慰霊碑
二河球場の北の敷地内にあります。
明治維新以降の呉市の戦死者や殉職者を慰霊する目的で太平洋戦争前の昭和11年に在郷軍人会によって建てられました。
戦後、進駐軍の戦没者崇拝・戦争賛美禁止命令により一度遷移されますが昭和32年に再建されました。
余談ですが、園内にある市営二河球場は昭和26年に竣工した球場で広島東洋カープの地方試合が行われる事で有名でしたが、現在はプロ野球の公式試合等は行われていません。
備考 |
・公園を囲むようにバス停があるが呉駅からだと歩いた方が早いかも ・桜の名所としても有名で花見の季節には多少混雑する ・駐車場は台数が少ないので夏季プール開園時期やイベント時は注意 ・二河峡にある「二河峡公園」と海辺にある「二河川公園」とこの「二河公園」はよく似た名前だがまったく別物なので注意 ・広島市にも陸軍の射撃場跡として陸軍江波射撃場跡がある |
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住所 |
二河公園:広島県呉市二河町1-11 忠勇護国殉職者慰霊碑:広島県呉市二河町1-8 |
駐車場 | あり |
トイレ | 園内にあり、二河球場にあり、スポーツ会館にあり |
竣工 | 大正5年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト | |
分類 | 基地跡、遺構、記念碑 |
アクセス |
・呉駅から徒歩20分 ・広島電鉄バス「二河公園」バス停から徒歩すぐ ・広島電鉄バス「上山手橋」バス停から徒歩すぐ ・広島電鉄バス「プール前」バス停から徒歩すぐ ・広電バス、JRバス「体育館前」バス停から徒歩5分 |
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