鷹ノ巣山低砲台跡
広島県廿日市市にある日本三景の一つ『安芸の宮島』
有名な厳島神社の南東(島の反対側)に標高194mの鷹ノ巣山があります。
ここには明治33年に陸軍が外国艦隊迎撃のために築いた広島湾要塞の1つ、鷹ノ巣山砲台がありました。
鷹ノ巣山砲台は宮島と大那沙美島の間にある那沙美瀬戸防衛のために建設され、明治30年に着工し明治33年に竣工しました。
鷹ノ巣山砲台には2種類の砲台が築かれました。
1つは地形や建物に遮蔽されて直接狙えない目標に対して、遮蔽物の上を飛び越えて砲撃するための榴弾砲が配備された鷹ノ巣山高砲台。もう1つは目標を直線で砲撃、または上陸してきた敵兵を攻撃するための速射砲が配備されたここ鷹ノ巣山低砲台です。
造りとしては広島湾要塞によくある花崗岩とレンガ造り砲台ですが、低砲台は鷹ノ巣浦の海岸線に沿って作られているため風化により現在はほぼ崩壊しています。
鷹ノ巣山高低砲台は広島湾要塞廃止に伴い大正15年に廃止されました。
砲台床・土塁
鷹ノ巣山低砲台には『9cm速射加農砲』4門と『27cm加農砲』4門が配備されていました。
低砲台は大那沙美島が直線で見える海岸線に作られたため長年の風化により崩落しています。
在りし日の姿を見れないのは残念ですが、海側に向かって斜めに崩れているため、お椀型の土塁に砲台床を載せて作った内部の構造が確認できるある意味貴重な遺構と言えます。
地下兵舎跡
砲台床の南にある地下兵舎跡
こちらはかろうじて斜面の上に残っています。煙突のように伸びているのは換気口です。
弾薬庫(?)と指揮所(?)
位置的に弾薬庫と指揮所と思われるレンガ部位や破片
完全に崩壊して粉々になっているためもしかしたら他の施設かもしれません。
レンガ造りの施設
レンガ造りの施設跡
半壊しており海岸からしか確認できないため詳細不明です。
探照灯跡
低砲台跡のさらに南に探照灯跡があります。
探照灯とはレーダーが無かった明治時代の夜間戦闘の索敵施設です。
半地下の探照灯室に巨大な電灯があり四角い穴から光線を上部(地上)へ照射します。照射された光は地上にある大型鏡で水平に反射させて海上を照射し敵艦隊を探します。灯台の光で敵を探すようなイメージです。
索敵可能範囲は約6kmで明治時代の索敵はこういった方法で行われていました。
ここには半地下の探照灯室・照射穴・方位観測所が現存しています。
探照灯跡から見た那沙美瀬戸
眼の前に大那沙美島があり、鷹ノ巣山砲台が防衛するべき那沙美瀬戸も目の前にハッキリ見えます。
大那沙美島と江田島の三高山・岸根鼻にもそれぞれ広島湾要塞の砲台がありました。
軍道(?)
砲台入口に部分的に残る石造りの道
恐らく鷹ノ巣山低砲台の軍用道路と思われますが詳細不明です。
境界標石
鷹ノ巣山高砲台軍道入口から鷹ノ巣山低砲台跡までの車道沿いに複数点在します。
境界標石とは民間地と軍用地の境界を示す石で日本各地に点在します。戦前戦中は要塞地帯の中で測量・撮影・模写などを禁止する要塞地帯法という法律がありました。
『防一七』と書かれているものは、『防』が広島湾要塞を管轄する陸軍の要塞であることを示しており『一七』が通し番号です。
M字が2つ入っている標石は海軍の敷地であることを表しています。これは広島湾要塞が後年海軍の所属になった時代の境界標石です。
備考 |
・すでにかなり崩壊している遺構なので必要以上に近づいたり上に乗ったりすると非常に危険である ・地下兵舎跡などまだ崖上に残っている遺構に近づく際は特に注意 ・包ヶ浦自然公園キャンプ場から入浜に向かう車道の途中の「鷹ノ巣浦」と書かれた道標が入口 ・道標から砲台跡までは徒歩ですぐ ・探照灯跡は砲台跡からさらに車道を進むと車道沿いにある ・桟橋から道標までかなり遠く登り坂と下り坂が何度もあるためレンタサイクル等が無いとかなり時間がかかる ・近くに鷹ノ巣山高砲台跡があるが直接行くことはできない |
---|---|
住所 |
広島県廿日市市宮島町1443 |
駐車場 | なし |
トイレ | 宮島フェリー桟橋にあり、包ヶ浦自然公園キャンプ場にあり |
竣工 | 明治33年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | やや易しい |
サイト |
- |
分類 | 砲台跡 |
アクセス |
・宮島フェリー桟橋から徒歩1時間30分 ・宮島バス「包ヶ浦」バス停より徒歩約40分 |
鷹ノ巣山低砲台跡
探照灯跡
コメント
最新を表示する
NG表示方式
NGID一覧