若桜友苑
奈良県橿原市にある橿原神宮のとなりにあります。
畝傍山のふともにある太平洋戦争戦没者を慰霊する霊苑。空母瑞鶴や予科練生の慰霊碑があります。
航空母艦瑞鶴之碑
空母瑞鶴は翔鶴型航空母艦の2番艦として太平洋戦争直前の昭和16年9月に就役しました。
就役直後に太平洋戦争が開戦しましたが、初戦の真珠湾攻撃から参加しミッドウェー海戦以降は日本海軍の主力空母として活躍しました。
空母瑞鶴は就役からマリアナ沖海戦まで1発も被弾しなかったという幸運艦でした。
しかし、戦争後期の昭和19年10月のレイテ沖海戦で囮役としてアメリカ軍の猛攻撃を受け戦没し、将兵約1500名が戦死しました。
慰霊碑がここ若桜友苑にあるのは「空母瑞鶴の艦内神社が橿原神宮であったから」や「第十三期予科練生と関係が深いから」など諸説ありますが詳細は不明です。
空母瑞鶴の三角マスト(レプリカ)
空母瑞鶴の飛行甲板の艦橋後部にあった三角マストのレプリカ
乗組員にとっては見慣れた思い出多いマストで、慰霊碑のとなりにレプリカが作られています。
鎮魂の碑
レイテ沖海戦で空母瑞鶴とともに戦い戦没した駆逐艦若月・駆逐艦初月・駆逐艦秋月・海軍第六〇一航空隊の慰霊碑です。
第十三期海軍甲種飛行予科練習生殉国之碑
飛行予科練習生とは通称「予科練」と呼ばれ海軍航空隊パイロットの練習生のこと
予科練は昭和5年(甲種は昭和12年)から太平洋戦争終戦まで続いた制度で、航空隊幹部を育成するため全国の中高生の志願者から選抜されます。3年間の基礎教育の後、飛行訓練へ進みます。
当時の海軍航空隊パイロットは海軍でもエリート中のエリートのみが就ける羨望の兵科でした。しかし、太平洋戦争が始まるとパイロットの大量育成と予科練航空隊の大量新設により質は低下したとされています。
慰霊碑にある第十三期生のころになると、戦局悪化により特攻機のパイロットになったり航空機不足により人間魚雷・海上特攻艇の搭乗員へ転向する予科練生もいましたが、多くの者は国防のために奮戦し亡くなりました。
戦死・戦病死者約1000名を慰霊するためここ若桜友苑に慰霊碑が建立されました。
絆の錨
旧海軍の艦艇の錨
海上自衛隊に保管されていたものを若桜友苑へ寄付されたものです。
旧海軍のどの艦艇の錨なのかは不明です。
備考 |
・最寄りバス停のバスが便数が少ないので公共交通機関は鉄道を使う方がいい ・橿原神宮の開門時間外は入れない可能性あり ・近くに橿原神宮があるのでついでに観光するといいかも ・空母瑞鶴の戦没日である毎年10月25日に慰霊祭が行われる ・呉市の長迫公園(旧海軍墓地)に空母瑞鶴の記念植樹がある |
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住所 |
奈良県橿原市畝傍町46 |
駐車場 | 橿原神宮にあり(有料) |
トイレ | 橿原神宮にあり |
竣工 | 昭和56年/昭和48年 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | - |
サイト | |
分類 | 記念碑 |
アクセス |
・橿原神宮前駅から徒歩10分 ・橿原神宮西口駅から徒歩10分 ・畝傍御陵前駅から徒歩13分 ・奈良交通バス「橿原体育館前」バス停から徒歩5分 ・奈良交通バス「橿原神宮前」バス停から徒歩10分 |
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