三高山
三高山は江田島北西部にある山
ここには明治33年に陸軍が外国艦隊迎撃のために築いた広島湾要塞の1つ、三高山砲台跡があります。
三高山砲台は広島湾要塞の要として江田島と宮島の間にある那沙美瀬戸防衛ために作られました。
明治34年に三高山の標高385mの尾根に着工し、総面積約6万坪の西日本最大規模の砲台として明治36年に竣工しました。
ここには『28cm榴弾砲』6門と『9cm速射砲』4門、『9cm臼砲』4門が配備されました。
その後は、他の広島湾要塞より少し早い大正8年に廃止されました。
太平洋戦争では他の広島湾要塞と同じく防空施設へ転用され無線基地と探照灯が設置されましたが、高射砲や対空機銃は配備されませんでした。
砲台は北部と南部に分かれておりそれぞれに砲台床と火薬庫があります。北部の方が規模が大きく兵舎・炊事場・井戸・観測所・軍道があります。
(※正式名称で『砲台山』と表記されている資料もありますが、呉市周辺には砲台山という名前の山が多いため、当wikiでは混乱を避けるため便宜上『三高山』と表記させていただきます)
砲台床(北部砲台)
造りは広島湾要塞の砲台によくある石造りで砲台床を中心に砲弾置き場があり、となりに半地下の火薬庫があるという配置です。
ここには28cm榴弾砲が6門配備されていました。
榴弾砲とは地形や建物に遮蔽されて直接狙えない目標に対して遮蔽物の上を飛び越えて射撃する砲です。
また、他の砲台跡と違って榴弾砲のアンカーボルトの跡がしっかり残っています。
火薬庫(北部砲台)
砲台床の左右にある半地下の火薬庫
ここも広島湾要塞によくある造りですが保存状態が非常に良く、内部がまったく欠損していない所もあります。
砲弾置き場(北部砲台)
花崗岩で作られた砲弾置き場
標準的な大きさですが、砲が多いだけあって砲台床のまわりだけではなく通路にも作られています。
伝声菅
近づいて話すと声が中で伝搬して相手に聞こえるという仕組みの通話装置で、電話や無線がなかった明治時代ならではのものです。
砲台床・火薬庫・観測所の三箇所を結ぶように作られていますが、それぞれ管が分かれているので三者通話はできません。
広島湾要塞の砲台跡についているのはめずらしいですが、全国の砲台跡ではよくある物だそうです。
観測所
方位観測所は敵船の正確な位置を測量するための施設で榴弾砲を扱う砲台には必ず作られています。
真ん中にある円柱に観測機を据え付けて敵船との距離を測り、榴弾砲の角度や飛距離を計算して砲台床へ伝えます。
北部砲台には28cm榴弾砲6門が直列に配備されていますが、列の両端に観測所が設けられています。
兵舎跡1
北部砲台の北端にある兵舎跡
砲台床から少し下ったところにありますが三高山の尾根の北端にあたるため景色が良いです。
呉市にある高烏台砲台跡の兵舎と同じように花崗斑岩で作られているため、明治時代に作られたにしては状態が良くほぼ完全な状態で残っています。
こちらは屋根や窓や木製扉も完全に復元されているため、高烏台砲台跡の石組みだけ残っている兵舎跡とは違ったノスタルジックな印象を受けます。
兵舎跡2
北部砲台の砲台床から兵舎跡1とは反対側に下ったところにある別の兵舎跡
現在は山林火災の防火帯兼駐車場になっているため遺構は残っていません。
便所跡
兵舎跡1の前にある便所跡
兵舎の近くに便所があるのはよくある配置ですが、下に深く掘ってある造りで他の砲台跡ではあまり見ない形です。
炊事場跡1
兵舎跡1の前にある炊事場跡
レンガでかまどの形を作ってあるのがわかります。
炊事場跡2
掩蔽部と軍道の間にある炊事場跡
三高山砲台は山頂に井戸があるため炊事場も2つ作れる余裕があったのではないかと思われます。
井戸跡
炊事場跡2の近くにある井戸
山頂に水源がない砲台跡や監視所は、大変な労力か電力を使ってふもとから水を上げなければならないため、山頂に井戸が建設できた三高山は恵まれた砲台だったと言えます。
掩蔽部(退避壕)
掩蔽部(えんぺいぶ)とは地下や山を掘りぬいて作られたシェルターのことで敵艦の砲撃から人員を守るための施設です。
三高山砲台の掩蔽部は3つあり、大型で中がつながっているものが2つと小型のものが1つです。
純粋に避難のために作られたのか、司令室や通信室が設置されていたのかは不明です。
南部砲台跡
南側にある南部砲台には9cm速射砲4門と9cm臼砲4門が配備されました。
南部砲台には砲台床が2つと弾薬庫が3つと北部砲台に比べて規模は小さいです。
北部砲台に比べて砲の口径が3分の1しかないため、砲弾置き場も小さく作られています。
炊事跡?(南部砲台)
兵舎跡2から南部砲台の間にある遺構
レンガの形状から炊事場と思われますが便所かもしれません。
三高山から望む那沙美瀬戸
兵舎跡1からの眺め
砲台が設置されるだけあって展望が開けており、三高山砲台が防衛するべき那沙美瀬戸も目の前にハッキリ見えます。
左奥にある島が宮島で中央にあるのが大奈佐美島、左手前にある半島が江田島の岸根鼻といい同じ広島湾要塞の砲台跡があります。
右奥にあるのが広島市です。
石積溝渠
南部砲台を囲むように作られた石垣の道
当時のものなのか公園として整備された時に作られたのか、何の目的で作られたのか等詳細不明です。
境界標石
南部砲台からさらに南の遊歩道にあります。
境界標石とは民間地と軍用地の境界を示す石で日本各地に点在します。戦前戦中は要塞地帯の中で測量・撮影・模写などを禁止する要塞地帯法という法律がありました。
M字が2つ入っているものは海軍を表しています。広島湾要塞は当初陸軍の管轄でしたが後年海軍所属となったため、それ以降か太平洋戦争中の無線基地時代のものと思われます。
備考 |
・林道砲台山線の途中にある ・最寄りのバス停は山のふもとにあるのでかなり登り歩きが必要 ・現実的に見てマイカー等が無いなら三高港でレンタサイクルを借りたほうがいい ・砲台跡まで車道があり駐車場とトイレを完備しているためマイカーを持っている人なら行くのは簡単かも ・境界標石は南部砲台から徒歩10分程にある三高山山頂(標高401m地点)の東屋付近にある ・呉市安芸阿賀にも地元の人から「砲台山」と呼ばれていた大空山砲台跡がある ・山口県大津島にも砲台山と呼ばれていた大津山がある |
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住所 |
広島県江田島市沖美町三吉2167-3 |
駐車場 | あり |
トイレ | あり |
竣工 | 明 |
公開 | 常時 |
登山難易度 | 普通 |
サイト | |
分類 | 砲台跡、日本土木遺産 |
アクセス |
・三高港から徒歩2時間30分 ・江田島バス「亀原」バス停から徒歩2時間 |
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