大野鉱山跡

ページ名:大野鉱山跡

大野鉱山跡

大野鉱山は太平洋戦争中に廿日市市高見山にあった鉱山

高見川の岩原の花崗岩に鉱脈があり川沿いの山を掘ることで鉱山としました。主な採掘はタングステンでしたが少量の金・銀・銅・鉄も採掘されていました。

太平洋戦争開戦の昭和16年に軍の管理下で開山されましたが、日中戦争が始まった昭和12年の軍需に対応するため、翌昭和13年に開山したとする資料もあります。

タングステンはダイヤモンドの次に硬い硬度の金属で、白熱電球のフィラメント・ドリルの先端・ボールペンのペン先等に使われます。融点も高く、比重も大きく、弾丸の芯にすると鉄板を撃ち抜くことができるため戦車の砲弾や軍艦の徹甲弾に使われます。

タングステンは日本ではほとんど採掘できず世界的には中国が主な産出国です。しかし、日中戦争や国際情勢の緊迫により輸入ができなくなったため高見山のような小さな鉱山も開発されたものと思われます。

大野鉱山は太平洋戦争後期の昭和19年に閉山しました。開山からわずか3年での閉山となりタングステンの産出量も2トンでしたが、軍需産業扱いで採算は度外視とされました。

現在は高見山と船倉山に向かう登山道の道中にあたり、坑道跡や選鉱所跡などの遺構が残っています。

監視所跡

登山道途中にある軍の監視所か詰所と思われる石垣と井戸の跡

当時は登山道に入ると最初に監視所がありました。

境界標石

地蔵橋の近くにある陸軍の境界標石

これは大野鉱山とは関係なく明治30年代に作られた広島湾要塞の境界標石です。

境界標石とは民間地と軍用地の境界を示す石で日本各地に点在します。戦前戦中は要塞地帯の中で測量・撮影・模写などを禁止する要塞地帯法という法律がありました。

正式名称は『広島湾要塞第三地帯標石第五号標石』で「陸軍」「第五」「明治35年」と刻まれているのが確認できます。

選鉱所跡

選鉱所と作業員宿舎と思われる跡

大野鉱山は最盛期は50~60名の作業員が働いていました。

坑道で採掘された鉄マンガン重石(タングステンの原石)はトロッコで最上段の選鉱所へ運ばれ、粉砕された後に選別され有用鉱は下段の集積所へ運ばれました。

その後、バイクで駅まで運ばれたという記録が残っています。

現在は集積所と思われる平坦地と石垣が登山道から確認できます。

作業場跡(?)

標高240m地点の砂防ダムのとなりにある石垣

跡鉱山の作業場か宿舎と思われる平坦地と3段の石垣が残っています。何の施設があったのか詳細不明です。

坑道口跡

大野鉱山の坑道口は4つあり鉱脈に沿って迷路のように複雑に掘られていますが、中で繋がっており当時の坑木が残っているそうです。

現在は、崩落したり植物に覆われて見えなくなってしまったため高見川の源流を挟んで東西2つが現存しています。

東側にあるのが本坑道口です。西側の坑道口は崩落の影響か入口近くまで水没しています。

ドラム缶片

色合い的に当時の鉱山で使われていたと思われるドラム缶の破片。詳細不明です。

ズリ場

採掘時に発生する不要な石を捨てたものです。

松脂を取った跡が残る松

太平洋戦争末期に松脂を取った跡

太平洋戦争は日本が原油等の資源を求めて南方に進出した戦争です。

しかし、緒戦で確保した南方資源地帯も戦争後期になると米軍の反撃により制海権を失い、輸送船団を往復させることができなくなったため国内の原油は次第に枯渇していきます。

太平洋戦争末期の昭和19年10月になると軍用航空機の燃料まで不足するほど原油不足は深刻化しており、打開策として松から取れる松脂や松根油(しょうこんゆ)を代替燃料として緊急増産する閣議決定がされました。

全国で伐採や採集が行われ、ここ高見山の松にも松脂を採集された松が残っています。

松は皮を剥いだ後に斜めに切れ目を入れると、切れ目から松脂が流れ出てくるので缶などで受け止めて採集します。しかし、1本の松から1日に取れる松脂は20gほどしかありませんでした。

また、松の切り株を蒸し焼きにすることで取れる松根油も代替燃料として増産されました。松を伐採し切り株を掘り起こすのは重労働ですが、長期化する戦争と徴兵により男性は戦争に取られていたためこの作業は女性や子供の仕事でした。

結局、苦心して集めた松脂や松根油も運動性能を求める軍用航空機で使用するには「オクタン価が低く使いものにならない」とされ、試験はされましたが実戦で使われることはありませんでした。

 

備考

・危険なので絶対に坑道内に入らないこと

・松脂を取った跡が残る松は足場が悪い場所にあるため無理に撮影しないように

・登山道は2つあるが鉱山跡が見たいだけなら高見川ルート登山口が近い

・登山道は高見川を4回渡るルートでうち2回は橋が無い浅瀬を渡渉する

・長靴は不要だが悪天候時や雨天後は増水している可能性があるため止めた方がいい

・渡渉、鎖場、ザレ場が数か所あるため登山用靴と手袋は必須

・基本的に一本道だが所々分岐があるので地図かGPSがあった方が無難

・選鉱所跡の最上段にコンクリート製の遺構があるが登山道から大きく外れているため登山に自信がないなら行かない方がいいかも

・高見山山頂や船倉山は鉱山跡から結構な距離があるため山頂まで登るなら体力と時間にも気をつけよう

・大野鉱山という名前だが最寄り駅は大野浦駅ではない

・最寄りのバス停はコミュニティバスで便数が少なく登山口までの距離も微妙なため前空駅から歩いた方が早い

・タングステンを使って作られた艦艇用徹甲弾が呉市の大和ミュージアムに展示されている

住所

広島県廿日市市大野10701

駐車場 なし
トイレ なし
竣工 昭和16年(昭和13年?)
公開 常時
登山難易度 やや難しい
サイト

分類 遺構
アクセス

・前空駅からから徒歩2時間

・おおのハートバス「鯛の原」バス停から徒歩1時間45分


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